午前5時半ごろかな

最初の日の地震以来の

まぁまぁ大きな揺れで起きた


最初の地震から5日目

すこし気が緩んでいたとおもう


地震の日から3日目あたりまでは

飛び起きてたとおもう

今朝はというと

揺れた…はっガーンまでにちょっと間が

あって、オットとともに起きた


テレビをつけて地震速報みながら

それ以上大きな揺れもなくて

慌てて起きたから胸が苦しくて横に

なってたらいつの間にうとうと


実はわたしクリスマスあたりに

インフルエンザになって

熱は一晩で下がったけど

頭痛と胃痛がひどくて

本当に辛い数日をすごし

隔離期間があけても

体がつらくて起き上がれずにいた

大晦日までそんな感じ


ろくに食べてもいなかったし

寝ても起きててもしんどいし

本当に生きた心地がしなかった


大晦日になんとか買い物にはいき

体力がおそろしくなくなってて

思ったように歩けない


お正月には毎年角煮を作るんだけど

今年は無理だった

体力回復してからにしようと

あきらめて


とりあえずのかまぼことか

筑前煮もできれば作りたいから

元旦にやわやわとするか…と材料

いちおう買っておく


幸いなことに今回の集まりは

義弟次男夫婦担当

まぁ、わたしが担当なら集まりなくしてる


わたしのあとに孫も感染しちゃってて

なんなら友達にもうつしたわたし😭


息子のインフルから1週間たってたから

もううつらないと油断したからか

ほかからもらったのかわからないけど

友達たちには本当に申し訳なかった


元旦の朝7時に初詣に出発

うちは商売もしてるから毎年の初詣は

必ず行くから、なんとかして行かねばとは

思ってて、娘と孫と4人で無事にお参りを

すませて帰宅したのは11時ごろ


昼に集まりあるけど、わたしは体力

戻ってないのと胃がおかしいし

咳もまだでるから不参加にして

2階の自室で寝ていたの


さしたら夕方に地震


インフルで体力ないうえに

地震で怯えてさらに食べれないし

揺れがこわくて眠れない


気がつくと2週間ろくに飲み食べ

してないやん泣


少ししか痩せてないけど

やっぱちょっと痩せてた

すぐ戻るだろうし、こんなときに

痩せてる場合でもない

踏ん張りどきだから



お正月のお節なんて食べられず

お正月休みもあっという間に終わり


日中のヘリコプターの音にも慣れた


自衛隊のヘリとドクターヘリ

何回も行き来してる


きのう、かかりつけの内科に

お薬もらいにいったら

受付の方や事務の方々が能登で被災されて

戻って来られないそうで

会計ができないから、まとめて次回に、と

言うことだった

初診なお断りされてて再診の方のみ

みてもらえた


娘の職場も、帰省して被災した方々が

いて戻ってこられずそれがいつまでか

わからないので

来週からどうするのか悩んでる


ひとが元々足りないんだけど

圧倒的に足りなくなってるらしい


うちの近くの大きな体育館が

避難場所として開放されるらしく

1年間は使用ができなくなった


いったん能登からこちらに避難

される人のために確保したみたい


私の住む地域は、電気も水も通ってて

細かい被害はあるけど

家屋倒壊はない


山のほうではあるみたいけど



わたしの推しグループ

ビーファのりょーきくんが支援物資を

もってやってきてくれたとXで知った


泣いたよ


現地の方々と連絡をとり用心に用心を

重ねて、いろいろ配慮もしてきてくれて

避難されてる方々が元気もらえたと

投稿されてた


りょうきくんが行ったところは

能登の手前のほうで

震源地はさらにそこから2時間ほど

かかるんじゃないかな

いまは下道しか通らず、そこから奥に

いくには一本しか道がないらしいから


それ以上いくとほんとに危ないとこで

行ける限りギリギリまで届けて

くれたんやなっておもいます


昨日、仕事仲間の相棒ちゃんが

ちょっと寄っていい?顔見せるだけ、と

寄ってってくれて

顔見てホッとしたけど

わたしより9個下で普段はしっかりものの

相棒ちゃんなんだけど


私の顔見るなり泣き出して

思わず抱きしめて


よくがんばったね

会えてよかったわと言った


地震のあと電話がかかり

娘たちが、その近くにいるから

行かせていいか聞かれ


もちろんや!わたしいま避難場所

むかってるから娘たちにも

車おいて避難場所くるようにいって!

わたしも連絡してみるから、と伝え


娘2人はわたしと一緒に

避難場所で過ごして

夜は私の家に

うちの娘と孫と4人でリビングで

雑魚寝してた


不安だったけど

娘たちの声に慰められたりした


自宅帰ってきたときに

友達の娘の車が道路に乗り捨ててあって

私の家の駐車場入れるとこあるのに

なぜ道路?

慌ててたから乗り捨ててきたんだろう

とわかってはいても

なんだかおかしくて笑ったの


まわりの家は避難してて真っ暗ななか

怖さしかなかったのに

笑えるもんだ、と思ったら

笑うとちょっと元気がでたり


相棒ちゃんはお母さんと弟家族と

避難してたんだけど、相棒ちゃんの

おうちのある地域は能登に近いから

被害が結構ある


津波もちょっとはきてたらしくて

それもこわかったとおもう


相棒ちゃんとの出会いは

彼女が小学生でわたしは19歳だった


こんな災害時には

あのときの子どもとお姉さんの関係に

戻るんだな、とおもったわ


私も怖いけど、相棒のためにも

しっかりしとかないとって気分に

なれた


相棒ちゃんも泣いてすこし落ち着いて

帰っていったからよかった



もうひとつ、実は…の話しで

インフルにかかったときに

オットの友達の奥さんで

わたしと仲良くもしていた子が

亡くなった


昨年春に大腸がんがわかり

余命半年と言われてたのを

一年半頑張ったんだと知った


その頃から会いたがらなくなった

Eちゃん


どこか悪いのかな、と察してはいたけど

弱み見せたくない子なのもわかってたから

相手から会いたいとか、聞いてというのを

待ってた、たまにLINEでやりとりも

してたんだけど


今年の秋にLINEしてたときは

肺炎になっていま入院してると

言われて

退院して落ち着いたらご飯でも、と

事情知らないから返信してたわたし


そこから2ヶ月あとの訃報

悪いことは続くものでインフルになった


携帯もその頃画面割れて機種変して

LINEの引き継ぎできてるのに

Eちゃんとのトーク履歴が消えてた


何も残さずにいってしまった


あとでSNSのトーク画面のやりとり

残ってたので読んで、現実なんだと

泣けてきた


オットが葬儀に行ったんだけど

わたしとうつってる写真が家族写真と

一緒に飾ってあったって聞いて

また泣けた


体力戻ったらおうちにお参りに

行かせてもらおうとおもったら

地震よ…



こんなに気分落ち込むことが

続いてるけど


Eちゃんの分まで

生きなきゃ