さて続きですが、拝殿に向かう参道

朱色と金の欄干が風情を感じて良いです(^_^)

境内手前右手に「水子地蔵」

こうこうと水が流れる手水舎

湧水なんでしょうか?(^_^;)

拝殿

回廊下側は新しくなっていました(^_^)

社殿を守る狛犬ですが、こちらも個性的な感じです(^_^)

拝殿天井画

鳳凰の図ですが、以前は横側から見られましたが、今日は横の扉が閉じてあって、正面下から覗き込んで撮りました(^_^;)

騎馬武者の扁額

後から気がつきましたが、これ「磨墨(するすみ」)と生食(いけずき)の宇治川の先陣争い」の絵だと思います(^_^;)

左手には最近奉納された様な龍の扁額(^_^;)

拝殿真横に、いつの間にか出来た「参集殿」

また、境内脇のトイレも真新しいものです

参拝者が増え、お賽銭、ご祈祷料等が増えて設備投資費が潤沢になったんでしょうね

何はともあれ、良い事だと思います(^_^)

 

境内右端の御神木的杉(目通り4mくらいかな)

右手には「姥神」の祠と稲荷社

本殿なんですが、一応神明造りですが、立派な境内の割には、意外に質素な感じです(^_^;)

本殿裏手

八大竜王(仏教の神様の様です)(^_^;)と不動さまの石碑

ここから、左手の沢を渡った小径が、奥宮「賀毗禮(かびれ)神宮」に向かう参道になります(^_^)

緩やかな沢沿いの道を20分程進むと沢の終わりから、傾斜のきつい山道になりますが、10分弱くらいで奥宮の鳥居に着きます(^_^)

 

こちらが「賀毗禮神宮」で、初めて訪れた時、何かとても「神々しい」雰囲気を感じました

当時、茨城でもトップクラスの霊地であると思いました(^_^)

写真も何か「神々しい」感じに見えますが、この日は特に、そんな感じはしませんでした

(後で、その意味を解った気がします)(^_^;)

境内にある磐座と

「古」からの神域を感じさせる枯池

立速日男命が座す本殿

ですが、何故か、僕のイメージでは「天照大御神」が連想されます(^_^;)

 

ただ、以前、山頂に登った時、山頂直下に「天の岩戸」と書かれた大きな磐座があったのを記憶していますので、あながち的外れでもないかも知れませんが(^_^;)

尚、こちらから右手に上がると裏参道と山頂に向かう二股の分岐にでます

が、僕は山頂には向かいません(^_^;)

こちらが話題になる以前に訪れた時は、山登りをやっているハイカーとして、山頂に登った事がありますが、

(当時は話題にもなっていないので、ただの低山の山頂のイメージでしたが)(^_^;)

 

現在は「山頂にある光の柱」

(ある宇宙飛行士が、宇宙から地球をみた時、一箇所から光の柱が見えたので、後で調べた処、この山だった)

と言う話から、こぞって「光の柱」と呼ばれる石柱目当てで登頂する人が増えたそうで

 

ただ、僕は今は、賀毗禮神宮より上は、神様の住む「聖域」だと思っています

伊勢神宮で言えば、本殿周りの聖域「禁足地」だと思っています

(この上を期待していた方々、スミマセン!僕のこだわりです)(^_^;)

 

余談ですが、以前紹介した西金砂神社の金砂と言う地名の由来が

「役小角(えんのおずぬ、修験道の開祖)が、ある時、東を見ると一箇所光り輝いて見える場所があり、飛んで行って見ると、この山に沢山の神様が集まっていた」と言う事で「光り輝く」から「金砂」になったそうです

同じ様な内容で、興味深い話ですね(^_^)

 

分岐で、一礼して、裏参道を降っていきます

意外に斜度のある急斜面でしたが、やはり、こちらからも「山頂」を目指す何組かの人々とすれ違いました(^_^;)

 

じつは、今日、訪れた一番の目的は「薩都神社」の奥宮に行きたかったからです

以前、来た時は、里宮の存在を知らずに素通りした記憶があったからです(^_^;)

 

急斜面をけっこう降り、緩やかな斜面になり、そろそろ下の境内に近づいてきて

「あれ?もしかして(奥宮は)分岐の上だったのか?」

「そうだとしたら仕方ない」(>_<)

と思い始めた時、参道と並行する社と黄色い鳥居を発見(^∇^)

一旦、鳥居まで行き、そこから社に向かいました

小さな社殿ですが、清々しい中にも、張り詰めた雰囲気があり

「どうやら、今はこちらに(神様は)いらっしゃるみたいだ」と感じました(^_^)

(僕の個人的感想です)(^_^;)

「先日、里宮にいきましたので、今日は、こちらにもご挨拶にきました」

と丁寧に参拝して、この場を後にしました(^_^)

 

けっこう個人的思い入れの入ったレポートですが、「暖かい眼」で見ていただけると幸いです(^_^)

地図