イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。(マタイ10・1) 

ギリシャ語(Textus Receptus) 

και προσκαλεσαμενοs τουs δωδεκα μαθηταs αυτου εδωκεν αυτοιs εξουσιαν πνευματων ακαθαρτων ωστε εκβαλλειν αυτα και θεραπευειν πασαν νοσον και πασαν μαλακιαν

KJV 

And when he had called unto [him] his twelve disciples, he gave them power [against] unclean spirits, to cast them out, and to heal all manner of sickness and all manner of disease. 


1. 

ここで、「汚れた霊どもを制する権威」は、原語では「汚れた霊どもに対して、自分が望むままに行える自由」という意味である。 

なぜならば「汚れた霊どもを制する権威」に当たる εξουσιαν πνευματων ακαθαρτων の「権威」の語義は、ストロングによると”liberty of doing as one pleases(自分が望むままに行う自由)”だからである。 

弟子たちには「自分が望むままに悪霊を処分する自由」が与えられた。 

だから、弟子たちが悪霊に対して「底知れぬところに行け」と言えば、そこに行った。 

この権威は、すでにあげた1コリント6・3によれば、一般のクリスチャンにも与えられている。 

われわれは、再臨を待つまでもなく、現在、悪霊を自由に処分する権威を有する。 

そして、繰り返しになるが、イエスが昇天され、神の右の座に着いて、世界に対する全権を受けておられる現在、この権威は増している。 

われわれは、公生涯におけるイエスご自身よりも大きな業を行うことができるようになっている。 

であるから、イエスの御名によってわれわれが命令すれば、悪霊は言うことを聞く。 

2. 

「霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。」 

この箇所は「汚れた霊どもを制する権威をお授けになった」に続いている。 

この2つをつなぐ接続詞は ωστε である。 

これは英語では"so as to(するために)"もしくは"so that(その結果)"である。 

つまり、 


「汚れた霊どもを制する権威をお授けになった」。それは、「霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすため」であった 


とも訳せるし、 


「汚れた霊どもを制する権威をお授けになった」結果、「霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやした」 


とも訳せる。 

文脈から判断すると前者に訳するべきである。 

ここで注意すべきは、「あらゆる病気」、「あらゆるわずらい」の原因は「汚れた霊ども」にある、ということである。 

そして「霊どもを追い出」すことによって「あらゆる病気」、「あらゆるわずらい」は「いやされる」のである。 

3. 

デカルトの機械論的世界観以降、病気の原因は物理的・生理学的・化学的なものに限定された。 

デカルト以前は、聖書の世界観とともに、アリストテレスのアニミズムが西洋の考えを支配していた。 

物体には、それがそのようになるべく働く形相(アニマ)が存在すると。 

つまり、日本人の「モノにはすべて魂が宿る」的なアニミズムはアリストテレス由来の西洋哲学にも存在し、その中核を形成してきた。 

それに対してデカルトが「物体の運動は純粋に物理的な法則にしたがっており、形相因には支配されない」と唱えた。 

ここで西洋はアニミズムから脱出できたのであるが、しかし、聖書の霊に関する教えまでも捨ててしまった。 

今日医者が霊的な原因を無視して、物理・化学・生理学的な原因に限定しつつ治療を行うのは間違いである。 

4. 

聖書的に言えば、病気の主な原因は「契約違反」である。 

神との契約を破ると、ネガティブなフィードバック(つまり、呪い)が来る。 

その呪いの一つとして、悪霊による憑依がある。 

罪を犯し続けることによって、悪霊が体の中に入り、特定の部位に取り憑き、その臓器や部位の機能不全を起こす。 

それゆえ、いくら薬で治療しても、神との関係を正常に戻さない限り、病気は治らない。 

罪を重ねると、呪いは重くなる。 


その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」(ヨハネ5・14) 


逆に、契約に従って歩むならば、普通の人が陥るトラブルに巻き込まれない。 


信じる人々には次のようなしるしが伴います。・・・蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず・・・」(マルコ16・17-18) 


パウロは、まむしに噛まれたが害を受けなかった。 


パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。・・・しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。(使徒の働き28・2-5) 


5. 

ヨブ記によれば、神の試練として与えられる病気もあるので、一概にすべての病気は契約違反にあると言い切れない。 

しかし、その大多数は、契約違反によって起きる悪霊の憑依によると考えられる。 

この病気の大きな原因である悪霊の憑依に対して、われわれだけが、根本的な解決法を有している。 

イエスの権威を帯びているクリスチャンだけが、病気を根本的に治すことができる。 

それゆえ、この世界にとって、クリスチャンの存在がいかに重要であるかご理解いただきたい。 

とくに癒やしの賜物を持つクリスチャンはそれを積極的に活用することによって、世界の病気に苦しむ人々を救うことができる。