前回の記事では、言いたいことを遠回しに書きました。
すると、「言いたいことが分かるような気もするが、何が言いたいのか核心が伝わらない」と指摘されましたので、婉曲は止めて書きたいことを率直に書きます。
私見が誰かへの非難に聞こえないよう留意したため、回りくどくなっていたようです。
私がほんとに言いたかったことは、
浅いことであっても素直に正直に話せば深く届く。人となりが分かる。
深いことを話す場合、受け売りや先人との内容重複の恐れもあって、浅く留まる。
というのが、藤圭子さんのおしゃべりと宇多田ヒカルさんの発言を比較した私見です。
藤圭子さんの普段のおしゃべりと、小澤征爾さんのインタビューを並列するのもおかしな話に思われそうですが、両者には自己開示、柔らかな自己主張が通底すると私には感じられました。
でも、実際のところ、「EIGHT₋JAM」では「宇多田ヒカルが創作の秘密をよくぞ明かしてくれた」と好評でした。
世間と私の実感とは乖離している。
その乖離を表現する力が、私には不足していると覚らされたような。
公に深い話をする場合には、先行表現に留意することが求められる。
でも、決して、宇多田ヒカルがそうすべきだったと言いたいのではありません。
問われるのは、インタビュアーの知識、受け手の見識ではないか、ということです。
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