マイケル・ジャクソンが好きでこのブログを始めましたが、マイケルがいなくなってから気づいたのは
「私はマイケルの何が好きだったのだろう?」ということです。
声が好き、曲が好き、ダンスが好き・・・表面しか見ていなかったことに気付いたのです。
ブログを書き、調べてていく過程で色々な面のマイケルの魅力に気付き、改めて参っています。

マイケルの事を記録のつもりで編集し、偲んでいけたらなと思っています。

今日はマイケル出演のCMについてです。

1984年1月24日
初めてのペプシ・コマーシャルのCM撮影が開始。ブロードウェイの『ザ・タップ・ダンス・キッド』に出演した12歳のスター、アルフォンソ・リベイロが、マイケルがペプシと共作した「ビリー・ジーン」の替え歌で共演した。
1月27日
ペプシ・コーラCM2本目の撮影中、頭部に2級と3級の火傷を負って、シーダー・サイナイ医療センターへ担ぎ込まれたが、このことを知った報道陣によって大パニックとなる。マイケルは後に治療のため、ブロッドマン記念病院に移ったが、そこの火傷センターはマイケルがわずか2週間前に慰問に訪れた場所だった。
1月28日
病院を退院。その前に、他の火傷患者を見舞う。その中の何人かは、前回一度見舞っていた。

2月1日
レーガン大統領より、火傷からの早期回復を願う、お見舞いの公式文を受け取る。
「先だっての事故であなたが重症でないことを知り、嬉しく思います。経験から、セットではあのようなことが起こるものだとわかっています。それは、たとえどんなに気をつけていようともです。アメリカ中で何百万という人々が、あなたを手本として尊敬しています。あなたの神への深い信心と伝統的な価値への忠実な支持は、私たちすべての者、とりわけ本当に信じる何かを探す若者たちに影響を与えています。「アイ・ウォント・ユー・バック」以来、あなたは実に多くのファンを集めて来ました。私もナンシーもその一人です。よい仕事を続けてください、マイケル。あなたがいることで私たちは幸せです。」
                                             ーマイケル・ジャクソン全記録よりー



ペプシ側はマイケルに対して推定3億円あまりの賠償金を支払いましたが、マイケルはこの賠償金の全額を治療した病院に寄付しましたた。
この病院は現在「マイケル・ジャクソン・バーン・センター」と呼ばれているそうです。
そんなことが実行できる人はなかなかいませんね。
また、この一件についてペプシ、製作者側を非難することはなく、両者の関係が悪化することもなかった。

寛大で優しく、真のスーパースターだと思いました。



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Classic Michael Jackson Pepsi Commercial (1984) (High Quality)

マイケルそっくりのこの少年はアルフォンソ・リベイロ君というスターだったのですね。
始めて見たときはリベイロ君は勿論、共演の子供たちのダンスのレベルの高さにビックリしました。









Michael Jackson Pepsi "Convention"

このCMは「第26回グラミー賞の実況放送中、ジャクソンズによるペプシ・コーラのCMが流され、
史上最も成功し、かつ有名になったCMとなった」動画です。
                                         ーマイケル・ジャクソン全記録 よりー










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