「退職までの8年間」

私は公的機関の非常勤として

勤務していました。

その間にあった出来事を綴っています。

よろしかったらお読みください。

 

新年度を迎え、あのやる気ない課長は退職。

メッチャやる気のある課長が就任した。

眠っていた受給者が掘り起こされ、ドンドンお客が来た。

数字は改善し活気づいたOK

 

羽生君の世界選手権(ボストンの悲劇勝手に命名)で落ち込んでしまった私は、自分の気持ちを振り返り、このままでは平昌オリンピックまで持たないと、自分用に「絶対王者のシナリオ」を作成した。

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母は食べられるようになり一気に気分が明るくなった。

しかし退院後、また食べられなくなり体調も悪いのか鬱っぽく、胆管炎を起こしたり、気が滅入ることが多くなった。しかし徐々に元気になり安心していたら、9月中旬、いつもの否定する母が復活。喉が詰まるなど体に異変が起こり、抑えていた記憶を開けることにしたドクロ

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それ以外は事件もなく過ぎた。

この年『初めての社労士受験』をし、『観劇・ミュージカル・三重奏コンサート』など色々楽しんだ。見ていないものを見るのが好きなので、昨年は『能』『オペラ』も見た。

フィギュアスケートに興味を持った私は、競技を間近で見たく『東日本選手権(東伏見)』や『ジャパンオープン』を見に行った。各選手を調べたり、ルール採点のプロトコルを見比べた。羽生ファンなら当然のマダムタッソー映画「殿利息」も見た。

 

友人のハーフマラソン応援、娘のジャズフェス、旅行は震災以来の気仙沼

東京から従兄達が来た。それぞれ別々の要件だが、それが父母との最後になった。

 

長男孫の誕生をきっかけに動画を作り始めたのもこの年の11月。ムービーメーカーで作成し、Windows10に移行した令和元年まで作り続けた。作成しながら写真整理もした。

ただ、マンドリンサークルは母の病気で滅入り、休会した。

 

社会では、「熊本大地震」「リオオリンピック」「英国ユーロ離脱」「相模原障害者施設殺傷事件」が起きた。