赤ちゃん~幼少期の写真を集めるために

本棚においてあるアルバムを開いてみた

 

わたしの写真はあまりなかった

家族と一緒に写っている写真はほとんどなかった

大半が保育所で撮られた写真だった

 

わたしは、祖母と庭で一緒に写っている写真を選んだ

なんとなく、これが一番、家族を感じる写真だったから

 

その写真の少なさを見てから

わたしは、かわいくない子どもなのかもしれないな

そう、思った

 

 

『一人っ子だから、大事にしてもらえていいね』

『独り占めできていいね』

 

兄弟がいることが当たり前の当時、

わたしは、周りからよく言われていた

今でも、『大事に育ててもらったんだね』と、言われる

 

 

周囲に比べて明らかに、自分の写真は少ない

おでかけに行ったことがある場所も少ない

家族旅行も今まで行ったことがない

周囲との差は歴然としていたけれど

「みんな大変だから、仕方ない」

「幸せに気づけないわたしの成長が足りない」

今まで、ずっと、そう思っていた

 

そう思っていたこと自体が

わたしの間違いだったかと思ったけれど

そうじゃない

わたしは、あの時、本当は

そう、思いたかったんだ

 

 

子どものとき、

遠い親戚や近所の家族旅行に

わたしだけ入れてもらったことがある

遠くへ行けて嬉しかったけれど

自分とは違う、よその家族関係を目の当たりにして

両親が一緒に居ないという寂しさとは別の

もっと大きな寂しさを感じた

 

「(こんな家族関係は)わたしの家では、無理だ…」

なんとなくそう、思った

 

 

あの時、本当は

うらやましくて仕方がなかった

 

よその子になりたいとは思わない

気をつかわずに会話を交わす

あんな家族がうらやましかった

 

子どものために動いている

友だちのお父さん、お母さん

 

むいてもらったみかんを食べて

袋を空けてもらったお菓子を食べて

残したご飯を食べてもらって

洋服を着せてもらう…

そんな友だちみたいに

わたしは、両親から愛情をうけたかった

尽くしてもらいたかった

 

 

一人でできることや他人に尽くすことで

いつも褒められていたけれど

本当は、

尽くさなくても

何もしなくても

ダメでも、

 

わたしは

褒めてほしかった

わたしのために尽くしてほしかった

わたしのために時間を作ってほしかった

 

目に見える物だけではなくて、

目に見えない形の愛情を与えてほしかった

 

わたしが

自分で汲み取らなくても

『ある』ってわかる愛情がほしかった