小学校の中学年頃になると、祖母の病気は深刻な状態になった

自分の意志とは関係なく、家同志の取り決めで結婚をし、

田舎の本家である我が家に嫁いできた祖母は

いい嫁・いい奥さん・いいお母さんを必死でがんばってきたのだと思う

祖母は子宮癌だった

我が家へ来ていた従兄弟も、来なくなった

 

当時、癌の告知はしないのが当たり前だったので

もちろんわたしには知らされていなかったが

家の雰囲気や祖母の抗がん剤治療がはじまり、副作用に苦しむ祖母をみて

ただ事ではないことは一瞬で理解できた

 

母の仕事が終わったら、祖母の病院へ行き

家に帰ったら、お風呂に入って寝るだけ

また、数年前のイヤな生活パターンがはじまった

さらに、輪をかけるようにして、わたしにとって苦しい状況になった

当時、小学生だったわたしが家で一人で留守番をするのは危険だという判断から

学校が終わってから家に直接帰らないようにと言われた

 

平日は学校が終わると母の仕事場へ直接行き、

休憩室で宿題を終わらせながら、母の仕事が終わるのを待つ

土曜日は学校が昼で終わるので、遠い親戚の家に行って

お昼ご飯をご馳走になり、親戚の家で母の迎えを待つ

休日は以前と変わらない

母は昼まで寝ており、父はどこかへ出かけている

わたしは、本を読んだりアニメを見て、母が起きるまで時間を潰す

 

前回とは比にはならないツラさだった

けれど、苦しそうな祖母をみて、ただ事ではない状況下で

わたしが弱音やワガママを吐き出すという選択肢は存在しなかった

誰にどうやって甘えていいかもわからなかった

わたしには耐えることしかできなかった