昼間に色々調べてみたりして
ようやくわかりやんした。
友人が
「恋は盲目だから
一息ついて、違う角度から
見た方がいいよ。
相手も考えることが
あるだろうから。」
と、言った意味?理由?
多分、
友人からみたら
私が自分を犠牲にしてる人
相手のことを思いすぎてる人
優しすぎる人
って見えたんだと思う。
まぁ、確かにそうなんだけど
ちょっと違う。
数年前から
「自分らしさ」って
キーワードが頭から離れなかった時
心屋に出会って
自分の気持ちを大事にすることを
知り、やってみて、
相手がどうであろうと
自分の気持ちを大事にしたいと
思えるようになり、
今に至りますが、
以前は、
他人の気持ちや感情と
私の気持ちや感情。
これに全く境目がなくて
日本の教育文化
「相手を思いやりましょう」
「相手のことを考えて行動しましょう」
「人を傷つけてはいけません」
これしか知らなかったから
相手の気持ちを
優先しなきゃ
↓
結果。
私の気持ちは
涙に変わる。
何も言えない。
自分の気持ちに
悉く蓋をしまくって
もはや、
何が本心かも
わかりません。
ってなってた。
今日、気付いたけど
父親は、私のことを
すでに理解してた。
ってか、だんだんに
理解したんだと思う。
今は、ちゃんと会話できるから。
けど、数年前までは
「泣かずに
自分の気持ち言え!」
「お前は相手の気持ちがわかりすぎるから、
そうやって言えなくなる!」
って父親に大きな声で
言われたら
怖くて、固まって、泣くしかなかった。
そんな私を見て
父親の怒りは
ヒートアップ。
そのへんから
私は、実の父親にも母親にも
理解してもらえない。
兄弟もいない。
私は孤独。
って思って生きてきた。
今、思えば
理解されないのは
仕方がない話なんだけどさ。
けど、
規格外の自分を認め
体質を知ったら
そっかー
仕方なかったんだ。
あぁ、
仕方なかったんだ。
ってか。
お疲れ、私。
って、なれたんだと思う。
この体質は
治ることはなくて
一生付き合っていくしかなくて
どーにもしようがないと
ある意味諦めたら
こんな考えが出てきた。
私の感覚を
信じてみっか。
私は小さい時から
食べ物も飲み物も
おもちゃも洋服も
同じ物を少ないパターンで
ヘビーローテションしてる。
子どもは
ハマったらずっと
ってところもあるけど
その比にならないくらい
期間が長い。
例えば、洋服なら
穴が空いても、治してまで着てた。
一人娘だから
親や親戚はいろんな服を
買ってくれてたけど、
いつも
「あんた、まだそれ着てるの?」
って言われてた。
多分、
感覚的にしっくりくるものしか
受け付けなかったんだと思う。
そこから、すでに
この体質はあきらかだった。
これが、本当の私。
私は自分にしっくりくるものしか
受け付けれない。
飽きっぽいって見られるけど
ちょっと違う。
受け付けれるキャパが少ないから。
受け付けれないものが
かなり溢れてる
=飽きっぽいように見える
コアラが
オリーブの葉っぱしか食べない
パンダが
笹の葉しか食べない
それ以外の葉っぱ食べたら
具合悪くなる。
私もそんな感じ。
だから
恋愛相手も
結婚相手も
友人も会社も
住むところも
行くところも
食べるものも
自分のしっくりくる感覚に
とことんこだわっていこう。
それに
長く続いてる=しっくりきてる
ってことだから
私に合ってるってこと。
だから、
自分の感覚を
信じてみよう!
食べてみて
飲んでみて
関わってみて
合わないものは
ゲロゲロゲーです。
私の先生は
コアラ、パンダ!
そして、うちのネコ。
↑
決まった缶詰しか食べないし
キャットフードもどうやら
こだわりがあるらしい。
(合わないとデモ起こす)
一緒にいても大丈夫。
一緒にいたいと思える彼は
(フラれてるけど。泣)
私にとっては
かなり貴重な存在なので
こだわり続けていっても
ええんだな。
ってか、
死活問題に関わることだから
こだわるのも仕方がないわ。
と、フラットに思えてる。
それに、
本当のとこ言えば
彼にとっても
こんな私の存在が
かなり貴重なことは
なんとなくわかる。