型 | 酒井ミキオオフィシャルブログ「raintree」Powered by Ameba

 随分昔、中一の時に空手を習っていたことはここでも書いたことがある。「空手バカ一代」を読んで感銘を受け極真空手を習うという、全国に数万人はいたであろう輩の一人です(笑)。

 漫画と現実はそりゃ違う。まずは精神ということをあまり考えもせず入門してしまったもんだから、文字通り精神的にちょいと弱ったね。あまり厳しい環境で生きてこなかったので。大声は出せないし、長時間板の上で正座も出来なかったし。

 しかしまあ、そこら辺は徐々に慣れてくる。ひとまず自分の薄っぺらい殻は破るんです。大声も出せるようになり、正座も何とか出来るようになり・・・。

 次はランニング、柔軟体操という流れ。体力作りもあったな。中一、しかも夜の部に行っていたので周りはみな大人。誰かをかついで走ったりもしたっけ。一番小さな体だったので、きつかった。一応は小さな女性をあてがわれたりしたけど。

 で、その次に基本練習。三戦(さんちん)立ちという型になり、突き等の練習をくりかえす。今でも指導員の「さんちん立ち、おーい(用意)!」という言葉が道場に鳴り響くのを憶えています。

 一突きにつき、「セイ(ヤ)!」という一掛け声。それが道場中に響く。なかなか壮観でした。そして幾つもの払い、受け、手刀、蹴りと続く。もうそれだけで汗だくだく。

 まあこの話を長々と書くつもりはありません。希望を持って始めた空手だったけど、徐々に辛くなり道場への足も遠のいていく。結局一年で終了。でもあの体験はやって良かったかなと思っている。

 で、なぜ一年だったのか?ということ。これも多く語っているので知っている人は多いね。一言で言えば「寒かった」・・・。北国でなければあと一年は続いたね(笑)。末端冷え性だった僕にとって冬の道場はきついよ~。

 それでも室内、まだ我慢は出来たのだ。決定打は冬の合宿。あれで辞めることを決めた。朝起きてすぐ極寒の道をランニング。もちろん胴着のみ。つまり肌の露出が高い。きょえ~!です。

 そして俺が一番嫌だったのは裸滑り。上半身裸で小さな雪山から滑り降りる。もちろん雪面に身体をつけてね。末端冷え性だった僕にとっては地獄。自分なりに気合を入れてやるが、きつい。

 その合宿で自分の成果と言えば、板2枚割ったこと。悲しいかなそれのみ。さらば「空手バカ一代」・・・という顛末です。格闘技を観ることが多少好きなのは、そういう背景があるからかもしれないね。

 思わず長くなった。空手を主体とする今日のブログじゃないんだ。言いたかったのは、どの業界にも「型」というものがあるってこと。基本という言葉にも置きかえられるかな。上記の三戦立ちもそうだし、平安もそう。型があって初めて始まる。

 音楽も同じく型が重要。ピアノの前に座る型。指を鍵盤の上に乗せる型。左手と右手のコンビネーションの型・・・。ギターもベースもドラムも皆、まずは型です。それがあって、そこを通っての個性です。型を崩し、自分なりにアレンジ。斬新な個性も、背後には型があるのです。皆さんの仕事もそうでしょ?

 僕の鍵盤演奏は確かに我流。なんせほぼクラシックを通ってないからね。運指の練習でハノンなどはやったし、数少ないけど多少のクラシック曲は通ってきた。でもその入り口がシンセであり、ポップ&ロックだったのですよ。CとかAmというコード(和音)だったのですよ。でも型はある。

 演奏もそうだが、楽曲制作にも型が多々存在する。骨となるメロディー制作の型、これは非常に大事。ポップ&ロックにおいて型は命かもしれない。もちろん音楽は自由。しかしその自由も型ありきなのだ。大衆性というものは、言いかえれば人が欲する型なんです。

 そう考えるとこの世ってやつも型だね。地球の歴史、人類の歴史、生命の神秘も実は型がある・・・話がずれた。そう、音楽です。楽曲、メロディーです。

 実は次回(12月)のユーストを考えているんだけど、メロ作りの型ってやつに少々触れてみようかなと思っています。ネタばらしにも繋がる危険な企画(笑)だけど、そういう風に曲を聴くと面白い!っていう気づきになるかなと。専門学校の音楽講義のようなノリになるかも。

 ただ他アーティストの名曲を題材にもしちゃうのでアーカイブは残し難いなぁ。○○さんはこの進行が多いとか、○○氏はこれをゴリ押しにしたとか僕はこれを使ったとか・・・。僕の中でネタばらしとエンタメのせめぎ合いになりそう(笑)。

 でも今までレコーディングや飲みの場で後輩君やアーティストに色々語ってきたことを、多少なりともユーストで出来たら面白いかもと思ってさ。あんまりマニアックにならない程度に、ライトな感じでいけたらと思っているので、是非お楽しみに!!

 本日は「型」についてのお話でした。ではまた・・・。