余命宣告を受けた父の生き方・逝き方 | N.Y.在住インタビュア&ライターなまずみきの「言葉を力に」

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6月に父が亡くなりました。

 

2017年の6月、母から

「お父さんが喉に違和感があって、

病院に行ったら、余命3~6カ月ですって」

と連絡がありました。

 

当初、父は

「抗がん剤を飲みながら、

普通の生活をするつもりだから」

と言っていましたが、間もなく

「抗がん剤は疲れるし、何より

お酒がおいしく感じない。

生活の質を下げてまで

生きている意味はないから、

抗がん剤はやめたよ」と。

 

12月には、東京の親戚との

お食事会を主催し、最後に

「実はご報告!

余命宣告されて、

これが最後かもしれません。

死んだら連絡がいくと思いますが、

死んだ人間のために、

生きている人をわずらせたくないので、

わざわざ新幹線で

お別れに来てもらう必要はありません。

みなさん、ありがとうございました」

と挨拶した父。

 

みんなで

「良い人生だったわねぇ」

「そんなこと言って、

来年もピンピンしてるかもよ」

と泣き笑いながら、

お開きとなりました。

 

正月に里帰りした私は、父に頼まれて、

遺影用に、お気に入りの庭を背景に、

グラスを持った父の写真を撮りました。

 

すでに

”余命半年”を過ぎていたわけですが、

「やっぱりグラスは持ちたいなあ」

など、いつも通りの姿は

それほど死が近い人とは思えず、

私も、

「まだまだ生きていられるのでは」

という気持ちがありました。

 

(実は8年前に私が北京に住んでいた時、

遊びに来た父とホテルで朝食を食べていたら

「お父さん癌が見つかったよ」と言われ、

「へー」と言って、自分の部屋に戻って

号泣したことがあります。

その後、医療の力で癌細胞をやっつけて、

復活。今回はまた別の癌でした)

 

1月には元気だった父ですが、

3月に、私の夫と話がしておきたい、

と日帰りで東京に来て以降、

どんどん体力がなくなったそうです。

 

本人も家族も、淡々と父の人生を

片付ける準備をして、

40年近く毎年行っていたスキーの道具も、

一時は毎週行っていたゴルフの

あれこれも手放し、

亡くなる2か月前は、

「もう冬服は着ることがなさそうだから」

と、送料負担で発展途上国に

寄付するための手続きを、

私に頼んできました。

 

私はそのシステムに半信半疑でしたが、

生前から、発展途上国の子どもの学費を

払ったり、中国の震災に寄付したり

していた父らしい選択だと思いました。

 

父は声楽を習い合唱もしていたためか、

5月ぐらいまで声は溌剌。

お見舞いの電話では、

弱っていることを見せないから、

電話で話した人は、みんな

「本当にそんなに悪いの?」

と疑うぐらいでしたが、

私は4月に数日の里帰りをしたとき、

父の様子をみて、

「あぁ、もうすぐだな」

と覚悟をしました。

 

お土産に買って行った父の好物も

「食べられないから、美紀が食べて」

と返されました。

 

「もう東京に帰るね」

とベッドの父に言うと

「元気でね」と握手を求められました。

握手をして、ベッドを離れたら、

背後で父が泣く声が聞こえました。

それが父に会った最後となりました。

 

東京に戻ってからは

"その日"が近づくことを感じながら

スケジュール帳をにらみ、

キャンセルしたら多数に迷惑をかける

企業の仕事を制限したりして

「なんか私、冷静だな」という気持ち、

「今のうちに電話して話しておかなきゃ

後悔するよね」という気持ち、

電話するのが怖いような、

恥ずかしいような気持ち、

あまり考えたくない気持ち、

色々な気持ちがありました。

 

その頃、私たちのNY行きが

決まりそうだと伝えて、

一番喜んでくれたのは、父です。

20年前「絶対に人生の糧になる」

と私の留学を喜んでくれた父。

同じように

「孫たちにとって最高だ!」

と喜んでいました。

 

「仕事も遊びの約束もあるし

行きたくない。日本に残ろうかな」

という私に、

「お願いだから子ども達の

ために行ってあげて。

どんな教育を受けるのか、

すごく興味がある。

お母さんに報告してくれたら、

お父さん、聞いとくから」と。

(父の孫は、私の子ども2人のみ)

 

子ども達のオセロも応援してくれていて、

6月のある日「明日オセロ大会がある」

と電話で伝えた息子(9)に、

「そうか、明日また結果を聞かせてね!

電話するね」

と言ってくれましたが、

あちらからは、

かける元気がなかったようで。

 

夜、息子に電話させて結果を報告したら、

「そうかー、よかったね!

オセロがんばってね!

ニューヨークも行けるし、

本当によかった」

と言っていました。

(スピーカーモードで聞いていた私)

 

その電話を切ったまま眠ったそうで、

翌日の午前中、仕事中の私のラインに、

母から「亡くなりました」と

連絡が入りました。

 

最後まで自宅で、抗がん剤も点滴もなし。

医師に「全くブレないのが立派だ」

と言われていたそうです。

 

本人の強い希望で、無宗教の見送り。

お葬式なし、お経もなし、

香典等も辞退、お墓もなし。

本当に家族だけで、

父が好きだったチェロのCDをかけ、

お花を添えて送りました。

 

 

 

普段、東京で生活していると、

あまり実感しないですむのですが、

誰かに伝えようかなと思うと、

泣きそうになる。

そうならなくなったら話そうと思いながら、

2か月が経とうとしています。

 

余命宣告というのは、

別れへのカウントダウンが

始まるようで辛いものですが、

宣告がなくても、私たちの人生は、

カウントダウンされているのですよね。

 

私は、いずれ訪れると

認めたくなかった親の死を、

覚悟せざるを得ない状況になったことで、

心の準備ができたことは

良かったと思っています。

悲しい!!けれど…。

 

「今までありがとう」は、

別れを認めるようで

一度も言えませんでしたが、

子ども達にお餞別をもらったことに

からめて、電話で

「色々ありがとう」と言えました。

 

父は「こちらこそ、ありがとう」

と返してくれました。

 

(撮影:Akira Katoさん。2年前、父80歳)

 

 

学生時代から私の友達をいつも笑顔で迎えてくれた父。小さい頃は内気だった私が、学校でも職場でも、人に恵まれたことを喜んでくれていました。「良い繋がりは大事に」と言われましたが、父との別れがあっても、大きく乱れることなく笑っていられるのは、繋がりのおかげ。
ありがとうございます。
 

マイペースなところも

常識からズレてるところも

父親似だと自覚している

インタビュアー&ライター

ナマズミキでした。

 

 

お仕事HP→http://namazumiki.com

 

 

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