みなさん、こんにちは!

本日の「きっかわみきの物語」部分公開は

「金色(きん)の耳」のウマノオトシゴの章からです。

んっ?何?ウマノオトシゴ??

そうなんです。「タツノオトシゴ」ではなく、この物語に登場するのは

「ウマノトシゴ」なのですよ。

本日は、その風変わりなウマノオトシゴが実に神妙なことを

<花>に語りかけるシーンです。

とてもとても深い言葉です。

それでは・・・・。


「みんな、君は『旅人』だとか、『リズム』だとか、それに「貴く偉大で不思議な何ものか」だとか言っていたけれど。あれはきっと私が風変わりだから、それで、なぐさめるために、あれこれ言ってくれたのだわ」


<花>はそう思うと、ますます落ち込んでしまったのでした。


 しかし、ウマノオトシゴはそんな<花>の様子など意に介するふうもなく、おちゃらけながらも、大真面目にこんなことを言い出したのでした。


「あのさ、お花さんよ、おいらも随分悩んだってわけさ。

だから、アンタの悩みは分かる。

で、勘違いしてもらっちゃあ困るけど、おいらはこう見えても、話の分かる奴ってのは、すぐに見抜けるのよ。

おいらには分かる。アンタは話の分かるお方だってことがね。そこで、ここだけの話。

あのさ、おいらはある時、不思議な声を聞いたのよ。そう、不思議な声。その声ってのは、あれは多分、沼の主だったと思う。そりゃあ、このおいらも度肝(どぎも)を抜かれたってもんだが、どこからともなく、あの時、確かに沼全体からしわがれた声が、このおいらに話しかけてきたのよ。

その声は言っていた。『ウマノオトシゴよ、そなたは偶然ウマノオトシゴに生まれたわけではない』ってね。

おい、聞いたか?このおいらに向かって、『そなた』だぜ、『そなた』。いや、まいったね。

で、その声は結局のところ、こう言っていたのよ。『そなたは、気の遠くなるような過去からのあらゆる因果(いんが)と功徳(くどく)が降り積もった賜物(たまもの)として、あるべくしてある』ってね。

いやあ、最初は思ったね。『因果とか功徳とかが降り積もってだか何だか・・・。何を言われてもだめよ。おいらはあの広々した草原をパーっとたてがみをなびかせながら、格好よく駆け抜ける馬に生まれたかったのよ。

それがこの妙ちきりんな沼で、おまけにこの無様(ぶざま)な格好。ふざけてもらっちゃあ、困るね』って。

しかし、アンタ、ここが人生の面白いところさ。

おいらは、ふっと思ったのよ。啓示って言うんだそうだが、神様の言葉が降りてきたように感じたのさ。

こりゃあ、ひょっとすると、何かすごいことを聞いてしまったのかも知れない、いや、すごいことを聞いたんだってね。

それで気付けば、その沼の主の声をいつの間にか口ずさむようになっていたってわけ。

『すべてはあるべくしてある』『おいらは、気の遠くなるような過去からのあらゆるものの賜物(たまもの)としてある』ってな感じでね。

因果(いんが)とか功徳(くどく)とかいう難しい言葉はよく分からんがね。

するとどうだい。何だかいよいよ本当にそんな気がしてきたから、不思議ってもんさ。

今じゃあ、これは神様がおいらにくれた真実の言葉だと思っている。

まあともかく、アンタにはなぜか今日、この言葉を伝えなくちゃならんって気がしてね。

それで、こうして話したってわけさ」


 ウマノオトシゴは実に威勢(いせい)良く話したのでした。



 みなさん、このウマノオトシゴの語り、いかがだったでしょうか?

ウマノオトシゴが聞いたと言う、沼の主の声の言わんとするところは、何となくでも伝わったでしょうか?


 そなたは偶然ウマノオトシゴに生まれたわけではない

 そなたは、気の遠くなるような過去からのあらゆる因果(いんが)と功徳(くどく)が降り積もった賜物(たまもの)として、あるべくしてある


 少しここのところを解説いたしますと、

まず一つ目は、物事に「偶然」はない、すべては「必然」である、ということです

 つまり、現在のあなたも私も、すべてのものは、偶然の産物ではなく、必然的な産物、しかるべくして、成るようにして成って現在ある、ということ。


 そして2つ目ですが、気の遠くなるような過去からのあらゆる因果(いんが)と功徳(くどく)が降り積もった賜物(たまもの)として、あるべくしてある、の部分。


「気の遠くなるような過去」とは「宇宙が始まった」と思えるほど遠い時、というくらいの感覚です。

(「宇宙」には、そして「時」には、本当は始まりも終わりもないのですけれど、とりあえず、ここでは、それくらいの遠い時からの、という意味にとってみて下さい。)


 そして「あらゆる因果と功徳が降り積もった賜物として」の部分ですが、「因果」というと過去の悪い行いの結果というように、悪いものばかりを想像しがちですが、ここではそれだけにとどまらず、「功徳」ということも伝えています。宇宙創成以来のと思えるほど過去からの、あらゆる万物がなしてきたこと、

すべての恩寵、降り積もったすべての貴いはたらきの集積の結果が、私やあなたやその他のすべてのいのちとなって、現在あらわれている・・・・。

そのような意味です。


 私たちのいのちは、過去の数えようもないほどの無数のものの功徳そのものである、とも言えます。


 私たちの中には、すべてが入っています。過去の栄光も遺産も、未来の希望の種も、そして時間を超えたこの宇宙の万物が私たちの中にはすべて入っているのです。

 このあたりのことは、この「金色(きん)の耳」の「カシの木の葉」の章でも語られています。


 いずれにしても今日は、みなさんのお一人お一人の中にある、汲めど汲めど尽きることのない無限の万物の功徳を感じながら、お過ごしになってみて下さいね。


 「私って何?」「いのちって何?」をテーマにした、この物語(金色の耳)、少し変わった切口でお話が展開されています。

今後ともご愛読の程、よろしくお願いしますね。


 どうぞ素敵な一日を!








書籍「金色の耳」(電子書籍・単行本両方あり)

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「続・金色の耳 ~なぜ悲しみや苦しみがあるの?~」

→ http://www.miki-kikkawa.com/books/golden-ear-4.html