みなさん、こんにちは!
本日の「きっかわみきの物語」部分公開は、
「金色(きん)の耳」のエピローグ、水鏡の章からです。
「私って何?」と問い続けてきた<花>ですが、
様々な生き物から様々な答えを与えられ、
<花>なりに一つの考えに到達しつつあるところです。
では、さっそく・・・・
その日、<耳の花>はふと、自分の足元の水鏡に視線を落としました。<耳の花>はその時、はっと胸を突かれるような感動を覚えたのです。
それは、今までずっと自分の足元にありながら、見逃してきたものでした。
水鏡が、いかほどに美しく輝いているか、この時初めて気が付いたのです。
<耳の花>は、水鏡に向かって思わずつぶやきました。
「水鏡さん、こんなに傍にいながら、今頃になってあなたの美しさに気が付くなんて・・・私は今まで何を見ていたのでしょう。
あなたは見渡す限りどこまでも澄んで輝いて、本当に濁りというものがありませんわ」
すると水鏡が答えました。
「私は水鏡だけど、優しい風が私の表面をなでるように吹いてくると、小さな小さな波ができ、その時私は優しい風になる。
大風が吹きつけると、表面は激しく揺れて、大きな大きな波が立ち、その時私は大風になる。
まったく風の無い時には、私は静寂を極めた水鏡となるのです。
静謐(せいひつ)な水鏡ができると、そこには空が映り、流れる雲が映り、空を飛ぶ鳥が映り、月が映る。
私はこの時、水鏡でありながら、空にも、雲にも、鳥にも、月にもなっているのです。
空と雲と鳥と月と私の間を分け隔てるものはなく、それそのものになっている。
私が空となり、空が私となり、私が鳥となり、鳥が私となっている。
あなたは『どこまでも澄んで輝いている。濁りが無い』と言ってくれたけれど、どこまでも澄んでくると、こうなるのです。
あらゆるものが邪心無く、どこまでも澄み渡ってくるとどうなるかを、私はこの水鏡で表しているのです。
いのちあるものが最も純である時の、究極の姿と言えましょう。
あなたは今まで、いろいろなものに『自分とは何か』を聞いていたけれど、あなたが澄み渡ると、あなたはこの世界のありとあらゆるものになれる存在なのです」
水鏡がこう言ったのに対し、<耳の花>はそっとつぶやいたのでした。
「今の私には想像もつかないけれど、そんな世界があるのだわ。この世界って本当に不思議・・・」
さて、みなさん、今日の部分公開はいかがだったでしょうか?
「私が空となり、空が私となり、私が鳥となり、鳥が私となっている」
この言葉は、有名な禅語をもじって、その内容を取り入れさせてもらったものですが、何ともおおらかで、すがすがしくて、澄み切った世界観だとは思われないでしょうか?
「あなたは『どこまでも澄んで輝いている。濁りが無い』と言ってくれたけれど、どこまでも澄んでくると、こうなるのです。
あらゆるものが邪心無く、どこまでも澄み渡ってくるとどうなるかを、私はこの水鏡で表しているのです。
いのちあるものが最も純である時の、究極の姿と言えましょう。」
なかなかこのような究極の姿にはなれるものではありませんが、
しかし人は余計な「我」を取り除くと、少しずつでもこの境地に
近づいていけるような気がします。
「私が空となり、空が私となり、私が鳥となり、鳥が私となっている」
今日はみなさん、是非そんな境地があることを思い出して、
まずはそんな「つもりになって」お過ごしになってみて下さい。
あなたの傍にいる人、生き物、あなたの傍にある木々や草の声が
あなたにそっとささやきかけ、あなたとそれらが一心同体となっているような、そんな素敵な瞬間がありますように・・・・☆
それではまた!
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書籍「金色(きん)の耳」(単行本・電子書籍両方あり)
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書籍「続・金色の耳 ~なぜ悲しみや苦しみがあるの?~」
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