おはようございます。

早朝、男子バレボ。

負けはしましたが、準々決勝決めてくれました。

いい目覚めです。

既に、蝉全力疾走中です。

今日も穏やかに過ごせます様に。


東北での入院生活

少しずつ慣れて来ると

少しずつ親しく話す人も出来て来る。

病気は違えど、皆心の病。

共感しあえるのは、支えとなった。

同じ様に苦しみ、同じ様にもがいている。

自分だけでは無い。

そう分かるだけで、どんなに救われたか。


娑婆?🤭に居た頃は

家族や限られた人とは繋がっていたが

それでも、常に孤独を感じていた。

身体にも変調が現れていた。

出来るだけ平気そうに振る舞おうとしていた。


そんな鎧を取っ払っていい環境は

少し自分を取り戻せられる気がした。

ずっと、コミュニケーションを避けて居た分

誰かと語れるのは、嬉しかった。


彼女との会話も楽しみの1つだった。


24歳某TV局のカメラマンをしているOさん。

とても聡明な女性で、何時も颯爽としていた。

2度目の入院だそうだ。


1度目は大学生の時

両親が不仲で、母親の愚痴の聞き役でも有り

仲裁役でも有った。

父親は、ある宗教の信者で因果応報をよく口にしていた。

解離性健忘、それに伴う鬱と診断を受ける。

両親に、病名そしてその原因を話すが

父親から「鬱では無い。」と言われ

原因も親では無いと言われた。

全て否定された自分とは?と常に考えていた。


今回の入院は

解離性健忘とPTSD(心的外傷後ストレス障害)

見知らぬ男性に車に引き込まれそうになった事が

PTSDの引き金らしい。

今回の入院は両親に伝えて居ない。


話を聞いて居て

心臓を鷲掴みにされた様な痛みを覚える。

子供にとっての両親の存在は

どれ程影響を及ぼすのか。


親で有る私

子供で有った私


感情的になった事多々有るし

感情を剥き出しにした親も見た

自分の醜い部分

心の奥底に隠していた親の大嫌いな部分


誰かの痛みに寄り添う時

自分の痛みとも向き合うので無いだろうか。

誰かが自分の引き出しを開けて語る時

私も閉じていた自分の引き出しを開ける作業をして来た気がする。


或る時彼女が

「父親から、車に引き込まれそうになった事件は

因果応報だと言われた。

私のせいだと、自分を責めている。」と。


「違う。それは、違うよ」と答えると

ぼろぼろと涙を溢した。

「今迄、こんなにさぐさま違うと言ってくれた人居なくて…」


彼女の心が少しでも和らいでくれたなら

こんなに嬉しい事は無い。

言葉は、人を傷付けもするし、癒しもするね。


心の病でよく会話に登るのは、

認知の歪みや、自分軸、他人軸。

周りを気にして行動する他人軸。

それを、自分軸にして行こう。


そんな話を彼女ともよくした。

考えの癖、

暑がり、寒がりみたいなモノと捉えたら

直せなくても対処はあるよね。

服を脱いだり1枚羽織ったり。

北風と太陽みたいなモノ?

ちょっと違うか。😄

力の入れ方を間違っているんじゃないかな

etc


彼女は私よりうんと早く退院し

リワークに通い

主治医からOKが出れば社会復帰すると言う。


毎日、夜決まった時間に

全てを知っている彼に連絡していた。

退院したら、一緒に暮らすと言う。


TVを観ると

この取材彼女だといーなーと思ったりしている。

Oさん。

貴女は何一つ悪くなんて無いからね。


最後迄読んで頂き有難うございました。