有名なホラー映画の「呪怨」シリーズ。

世間が盛り上がっていた記憶があるだけで、観たことがありませんでした。

もともとはビデオ作品だったんですね。そのことも知りませんでした。


それが、「誕生から25年。Jホラーの原点が4K &5.1chサラウンド化で2作品同時劇場公開‼︎」

ということで映画館で観られるというではないですか。

行きつけの映画館の一つにあったチラシで知りまして、今日行って参りました。


そのチラシがこちら↓



この作品の何が怖いといって、まずタイトルですね。呪怨という感じの字面がコワイ😨

漢字って便利ですよね。一文字で恐怖が目から伝わる。

それとこのビジュアル。水滴とガラス越しにぼやけてるところが怖さを増してる顔。

色白でコープスメイクみたいに目が眼窩のように黒丸なので、生きてる普通の人間じゃなさそうなのがコワイその2😰


ガラス越しのぼやけ顔がなんで怖いのかというと、ぼやけ見えの現段階の次には隔てるものが取っ払われて直接の対峙であろう、

その来るべき/来てしまうかもしれない恐怖、今でさえ怖いのに生対面となったらどんだけ怖いの?!いやぁああ!

と自分の想像力と想定に震えるからでしょう。

実際、呪怨では俳優の視線や照明、何かありげに映し出されている天井や壁、そういうのが怖かったです。

白塗り親子(伽耶子さんと俊雄くん)がバーン💥と出て来た時よりも。


わからないことが多くて、それらに意識が半分持ってかれてるので、伽耶子さんや俊雄くんなど怖がるべきものが出てきても、

キャー!😱とはならなかったです。

そんでもって最後まで見ても、謎(というか何故に?なんで?という疑問かな)が増えるだけで解消されませんでした。


でも帰宅後、Googleで呪怨と検索したら、親切なAIが

「なぜ○○は××なのですか」などと質問形式で書いてくれてて、横のvをクリックすると答えがあっさり出てきたので、

それを読んで「はー。そうだったんだ」と一部の謎は解けた次第です。


これはあれなんですかね、伝説のクソ(なのに音楽は一流)ゲー「デスクリムゾン」みたいな好かれ方なんでしょうか。

最初に「世間が盛り上がっていた記憶」と書きましたが、その盛り上がり方が今で言うネットミームとかいじりのようだったので、

なんかホラーなのに既に面白いものになってるのかな、と横から見てました。

「リング」の貞子さんもホラーとして流行ってしばらくしたら、面白キャラになってましたよね。そんな感じ。

怖がるものなのか、笑うものなのかよくわからなかった。


確か2018年の10月15日だったと思うけど、京都のみなみ会館(閉館)で「恋のクレイジーロード」と「劇場版シネマ狂想曲」を観ました。

舞台挨拶付き上映の回で、白石晃士監督と坪井篤史シネマスコーレ支配人がいらっしゃってました。

その坪井さんが「シネマ狂想曲」の中で、全身白塗り黒アイシャドウ姿で上映イベントで喝采を浴びてらっしゃる姿があったのですが、

それが「呪怨の俊雄くん」だったんだと今日、わかりました。

いや、その時も「なんかホラー映画の子供キャラだよね」、とはうっすら思ってたんですけど。

くせのありそうなシネマスコーレで映画を観たいものだと強く思ったのですが、未だ果たせていません。


俊雄くんはなんで口をまんまるに開けて天井を見上げるのか、にゃーお・みゃあーお🐈‍⬛と猫の鳴き真似も口をまんまるに開けたままで、

口を開け閉めしないと連続でミャーオ言えないよ?と不思議だったり。

あと、伽耶子さんはなんで匍匐前進と四つん這いで進むのかもわからないまま。

呪怨2の途中、響子さんが緊迫した面持ちで資料に目を走らせていた後に少し寝てしまったので

(その資料をお兄さんの不動産屋に持ってって、事務員さんに手渡した時には起きてました)、そこを見逃したせいで色々がわからないのか。


私は基本的には映画は映画館で観る一期一会なのですが、ふと気づいたらこの呪怨と呪怨2を観たいと思ってる自分がいました。

びっくり。

どころか繰り返して観たいし、繰り返し観している人たちの気持ちがわかる、とまで思っている自分も。

作品の力ですね。


呪怨を観終わった時点でパンフレットを購入しました。





呪怨2までに少し時間があったので、お散歩がてら外に出ましたら、

あたりの風景がホラーに見えました😨

同じ街なのに。

呪怨のかメラワークに乗り移られているかのように、もしくはそれが脳内にフィルターとして設置されてしまって、

それを通して風景を見ているかのような。

映画の力は偉大だ。

いや、偉大な力を持った映画だということでしょうね。


今回観ることができてよかった。

ありがとうございました。