今年の春のお彼岸に、先祖のお墓参りに新潟県上越市に行った折、ホテルのロビーに「瞽女(ごぜ)さん」のお人形があり、そのことをブログに書きました。


これらは以前書いたブログの記事です。

http://blog.livedoor.jp/mike3854/archives/50840038.html

http://blog.livedoor.jp/mike3854/archives/50853656.html

公共の福祉がなかった時代の日本において、視覚障害のある女性が旅芸人として三味線と唄で生きて行く、それが瞽女(ごぜ)さんです。

知らなかったけれども、昔は北海道以外の日本全国に瞽女さんはいたそうです。

それが越後の地だけに途絶えずに引き継がれた。

それも「最後の瞽女さん」と言われた小林ハルさんが2005年に105歳でなくなり、瞽女唄という芸能はなくなってしまう。


そんな瞽女唄の文化を絶やすまいと、生前の小林ハルさんに弟子入りをして、耳から口に教わった瞽女唄を、公演を通じて伝承しているのが萱森直子さんです。

http://www.echigo-gozeuta.com/


普段は新潟の地で、施設や学校で公演を行っているのですが、今回東京で公演を行うこととなり、その制作に携わっている方が上記のブログにコメントで知らせていただき、本日そのコンサート「瞽女(ごぜ)唄が聞こえる」に行ってまいりました。(枝さん、ありがとうございました。)

http://blog-eda.net/gozeuta/info.html


コンサートは、世田谷のブロードハウスと言う、こじんまりした会場で行われました。


始めは荒木明子さんの朗読による小林ハルさんの半生。

目の見えない子供のころの思い出、母親にきびしくしつけられたこと、瞽女として人生を歩みだす、可愛がった養子を亡くして自分の母が厳しくしつけてくれたことの意味を知る事、など。

最後の瞽女さんと言われた小林ハルさんの、きびしい人生の一端を垣間見た気がします。


そして萱森直子さんの登場。

始まりは門付け唄、短い唄だ。

門付け唄とは、旅芸人の瞽女さん達が村に着いて、宿や家の軒先で歌うイントロのようなものらしい。

曲が終わり、マイクを持って瞽女唄とはどういうものか、わかりやすく解説してくれる。


瞽女さんとは要するに芸人さんであって、お客さんを喜ばせるためにさまざまな唄を唄ったのだそうだ。

端唄、小唄、新内、もちろん民謡も。つまり非常にレパートリーが広い。

また唄の内容も、涙を誘う「泣きもの」、楽しい「えんぎもの」など。

そこまでは大体想像がついていたのだけれど、「段もの」とよぶ長い唄があるのだという。

これは講談や落語の人情ものと同様で、ストーリーのある話しを唄にのせて「よむ」のだという。

1段は20分程度、長いものは10段からなるので、全部終わるのに何時間もかかるそうだ。


そこで演じたのは段ものの「巡礼おつる」。

有名な話しらしいのだが、私は知らなかった。


あらぬ罪を着せられそうになった夫婦が、幼い三歳の娘おつるを残して失踪する。

9歳になった娘は両親を探して旅に出る。巡礼の姿をして。

四国から大阪に渡ったおつるは、母親に出会うのだが、かわいい我が子と知りながら娘に名乗り出ることの出来ない母。


というような人情話。

段もの特徴は、こうしたストーリーを一節ごと、話すがごとく唄っては、間奏の三味線が入る。

これを繰り返すのだが、話しが佳境にはいったところで、間奏、盛り上がるところで間奏、という感じ。

聞いている側の気を持たせるんですね。はらはらどきどき感を与えると言うか。

そして20分も話しがすすむと、段の終わり、ということになる。

今で言う、「続きは次週のお楽しみ」というのに似ていて、さすが伝統芸能だと思わせる。


「巡礼おつる」の話しは、本日は二段だけ演じていただいた。

残りはかいつまんで終わりまでのストーリーを話していただいた。

だんだん「おつる」に感情移入して、おしん状態になりかかっていたので、ラストのハッピーエンドを聞いてほっとした。


間に「おうりょこうぶし」という笑いをさそう小唄。

すいません、漢字はわかりませんでした。


ここまでは萱森さんが小林ハルさんから受け継いだ「長岡瞽女唄」。

最後は杉本シズさんから受け継いだ「高田瞽女唄」の「たち唄」でしめた。


たち唄とは、門付け唄の逆で、村を立つときに唄う歌なのだそうだ。

曲は「しげさぶし」と言ったかな?

唄の内容は、虫だとか花の名前を節を付けて読むだけの、単純な唄。

単純な唄だけど、唄った後で萱森さんからこのような解説があった。


瞽女さんは、たいがい幼い頃、5歳か6歳で修行に出される。

特に高田瞽女の場合は、完全に家を出て、師匠を義理の母とすることになる。

そんな幼い娘が、最初に習うのが、この歌なんだそうだ。


実の母が恋しいだろうに、だからそんな思いを忘れさせるように、子供の好きな花や虫の歌を習わせるのかな。

そう思うと、思わず目頭が熱くなってきました。


コンサートは全部で1時間半ほど。あっと言うまであった。

最後に萱森さんからのメッセージで、どうかひとりでも多くの人に、瞽女唄のことを知って欲しい、との事だった。


わたしは、こんな拙いブログで紹介しているわけであるが、どうだろう。


瞽女さんもそうだが、目の不自由な人の職業として按摩がある。

それ以外にも、恐山のイタコはそうした人がなる職業だったそうです。

だいぶ昔だが、琵琶法師なんてのもそうだったらしい。

体が不自由でなくとも、貧しければ女の子は売られたりしたわけですね。

今の社会はどうなんだろう。昔よりは裕福になっているはずなんだが。


また、民間芸能というものについて考える。

以前はこうした旅芸人の他に、寄席や芝居小屋が身近なものとしてあったようだ。

今はマスコミの時代。

テレビを付ければ楽しい、面白い物が、いつでも手に入る。

でも、画一的すぎないかな?

町内のヒーローみたいなものが、今は存在しなくなっているように思う。

もしかしたらインターネットの2chあたりが、その役割を果たしているのかも。