高橋説・島津陣跡


歴史研究家の高橋陽介さんと、新説の関ヶ原古戦場に行ってきました!



これは私が城や歴史を学んでいる東海古城研究会企画のバス見で、今回は54名の参加者がありました。



さて、関ヶ原の新説?



と、思う方もいるので、少し詳しく説明しますね。









古文書資料


現在、私達が知っている関ヶ原合戦というのは、江戸時代にまとめられた軍記なのです。



ずっとそれが関ヶ原合戦ということで知られてきました。ずっとです。



しかし古文書の研究家でもある高橋陽介氏は、一次資料とされる当時の武将(人物)たちの手紙を丹念に調べ、時系列に並べてみました。



すると、武将(人物)たちの残した手紙からは、慶長五年(1600)9月15日に現在の関ヶ原という場所で起こった合戦は、私達の知るものとは全く違っていたのです。






天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった

その内容をまとめたのが、高橋陽介氏の著書・天下分け目の関ヶ原の合戦はなかったです。



この本を読むと、武将たちの陣跡も現在私たちが知る場所と全く違います。



そこで!



高橋陽介氏に直接、現地を案内して頂こうというのが、今回の見学会でした。








高橋陽介氏。


ちょうどこの日、現在の関ヶ原古戦場といわれている場所では、ウォーキングイベントなどが行われていましたが、人混みを離れ高橋説の古戦場巡りへ。



ここは観光地ではないので、静かでしたね~



さて、定説と今回の新説の違いをいくつか比べてみます。



・杭瀬川の戦いは確認できない


・笹尾山は石田三成本陣ではない


・宇喜多秀家、島津義弘、小西行長本陣も違う場所


・小早川秀秋は9月15日以前に東軍となっており三成も知っていた


・最初に戦ったのは藤堂隊と大谷隊


・最初に壊滅したのは大谷隊



・的中突破したのは島津隊だけではなかった


そして一番衝撃だったのは…




合戦の場所は関ヶ原ではない!という事









高橋説・宇喜多秀家陣跡


高橋説は、当時の武将(人物)達の手紙に沿って説明されているので、納得していた人も多かったです。



さて、今回参加してみた私の感想ですが、根拠が一次資料なだけに私も納得できました。



また古戦場とされる場所は、数万の軍勢が戦えるような広い場所ではないため、大規模な合戦ではなく小競り合い程度のものだったのかもしれません。



高橋説には異論、反論もあると思いますが、新しい関ヶ原合戦のキリクチとして、面白かったです。



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