名古屋城天守側面の画像


関ヶ原合戦後、徳川家康は四男・松平忠吉を清洲城主として尾張国を与えます。



でも忠吉の死後、弟・義直に清洲城を継がせますが、その時家康は尾張の中心を清洲から名古屋へ移すのです。



なぜか?



いくつかの理由が指摘されますが、そのうちのひとつに【水害】があります。



私がこう言うと、



『清洲も名古屋も同じですよ!同じ平地ですよ!同じ濃尾平野ですよ!同じく水害に遭う土地ですよ!』



と、いう方がいるかもしれません。



でもこれは名古屋を知らない人です。名古屋城周辺に住んでいる人は、私が言っている事が分かると思います。



なぜかというと、名古屋城は平城であって、実は平城ではないからです。



それが熱田大地(那古野台地)の地形です。







分かりやすく説明しますね。



名古屋城は実は高台にある城なんです。



具体的に言うと、熱田神宮から車で国道22号線を使って、名古屋城へ行くとします。



金山を通り、大須商店街を横切り、あと何だっけ?御園座を通り…という具合に進みますよね?



すると名古屋城に到着するのですが、この南からの進行方向だと、ずっと平地というイメージがあるので、名古屋城は平地にある城、つまり平城というイメージがあるのです。



でも、名古屋城の北側にある名城公園から名古屋城を見ると、高台にある事が分かります。これが熱田大地(那古野台地)の地形です。



名古屋城が高台にあるというより、名城公園を含めた西区から北が低い土地にあるという事。



つまり名古屋城は、熱田大地の北端にある城ということなんですね。



台地上にある城、だから清洲城よりも高い場所にあり、清洲で水害が起こっても名古屋城は浸水しにくいのです。



つまり家康的には、清洲から名古屋へ城や城下町を移した清洲越しは、水害対策でもあったという事です。



また現在の名古屋城は、かつての名古屋城の中心地のほんの一部。実際はもっと広かったのです。









愛知ウォーキング城巡り倶楽部で城巡りの様子

この名古屋大地の地形を体感し、また名古屋城周辺の知られていない史跡を巡る見学会を私が講師を務める愛知ウォーキング城巡り倶楽部で行います。

日にちは令和元年(2019)6月1(土)、2(日)の2日間。



イベント保険加入のため、参加締切は5月19(日)なのですが、すでに両日合わせて40名を超える方々が参加予定です。



愛知県(尾張、三河)のディープな戦国史跡や城に興味がある方は是非、チェックしてみてください。



こちら⇒ 愛知ウォーキング城巡り倶楽部(AWC)






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