あの戦国の現場へ行こう!-大林寺曲輪01


【岡崎城レポ その4】





平成十九年(2007)、秋。



岡崎城に近い材木町でマンション建設場所から、大規模な石垣が出てきました。



そして調査の結果、これはかつての岡崎城の大林寺曲輪(だいりんじくるわ)の石垣という事が判明しました。



この調査で岡崎城は、日本の城としては江戸城、豊臣政権下の大坂城、拡張を繰り返した姫路城に次いで四番目に巨大な城だったという事が分かりました。





 あの戦国の現場へ行こう!-大林寺曲輪04


↑ 場所はココ。



かつての三の丸、大手門のさらに外側、北の部分。



こんな外れからの発掘でした。





 あの戦国の現場へ行こう!-大林寺曲輪02

↑ そして野面積みの石垣の中に【犬走り】という遺構があることが判明。



これは石垣補強のしくみという事で、この遺構は全国的な築城ブームがピークだった慶長十三年(1608)以前の形式とか。



当時の築城技術では高い石垣が造れず、さらにこの地は低湿地帯で地盤が悪かったので、犬走りを設けて石垣を二段にして補強したそうです。



この遺構を視察した当時の広島大大学院の三浦正幸教授(文化財学)によると、



『関ヶ原以前の城郭では二の丸の外側にこの様な石垣は造った例は無く、大変貴重』ということでした。





 あの戦国の現場へ行こう!-大林寺曲輪03



文化財級の発見で地元はモチロン、城郭研究者の間でかなり話題になりました。



しかし!



ココはもともと民間地で、さらにマンション開発の途中で石垣が出てきた場所です。



しかも国や市の文化財指定は受けておらず、業者的には早くマンションを完成させたい。



なので惜しまれつつも、有識者、城郭研究者、城郭ファン、地元の人達は、指をくわえつつ、マンション開発を見守るしかありませんでした。





そして…




それから三年の月日が経った平成22年(2010)…




あの大林曲輪跡はどうなったかというと…













 あの戦国の現場へ行こう!-大林寺曲輪05


↑ 予定通り石垣は完全撤去され、マンションが建ってしまいました。 (-"-;A



石碑も看板も設置されず、何事も無かったかのようにそびえたつマンション。



あの石垣はユメか幻の様に、語り継がれるだけの存在になってしまいましたとさ。




【大林曲輪の石垣跡はコチラ】




※ 続きを読む → 徳川家康の手形がある!