6月3日の日曜日に梅雨の中ですが週末に晴天が続くとの事でお隣の新居浜市のえんとつ山へ行ってきました

 

先月の記事でも少し触れましたが、今回の計画はこの一枚の略図の画像から始まりました

 

えんとつ山は昨年の元旦に別子銅山の産業遺産でもある上部鉄道跡を歩いた帰りに寄ってみるつもりでしたが、県道47号から東平への道が冬期休館で車両が乗り入れできずに予定が大幅に遅れて寄れずにそのままになっておりました

 

上部鉄道跡も第1岩井谷から石ヶ山丈駅までの間が未踏破区間として残ったままになりました

 

この区間には石ヶ山丈駅の他に地獄谷や有名な切通し、紫石などがあります

 

 

垂直に切り立った切通しを抜け断崖絶壁を石ヶ山丈から角石原に向かう上部鉄道の蒸気機関車 明治30年代

 

この残りの区間については種子川林道から魔戸(窓)の滝へ車で行き、アクセスしようかなどとも考えておりましたところ、昨年の3月に下部鉄道の探訪でマイントピア別子を訪れた際に東平の第3通洞から石ヶ山丈へ向けて発電用水の導水路が上部鉄道の直下に平行に続いているという事も知りました

 

マイントピア別子に展示されている端出場水力発電所と導水路貯水池のジオラマと説明図
 

これらを目にして自ずと上部鉄道の他に石ヶ山丈貯水池や導水路に対する興味も高まって、いつか歩いてみたいと思うようになりネットでも下調べをしている中で、先の略図に出会いました

 

石ヶ山丈からえんとつ山へ尾根伝いにたどるルートは以前から気になっていましたが、この地図を見てグッと引き寄せられました

 

そして、何?犬返し、標高579mのピークもあるらしい

 

犬も寄せ付けない険しいピークとの事だがナナも連れて行ってみようかなw犬

 

まずは麓から歩いて石ヶ山丈貯水池と石ヶ山丈駅まで辿ってこの辺りのルートをしっかりと確認したうえで次のステップ(導水路探訪)に進むことにしました

 

という事で今回はえんとつ山から石ヶ山丈周辺と魔戸の滝を探訪して来たいと思います

 

十分な事前調査をして出発したかったのですが、今回はほとんど何も出来ずに当日を迎えてしまいましたアセアセ

 

 

7:17

遅くとも6時には出発予定でしたが7時を過ぎてしましましたあせる

 

7:45

国道11号線を左に折れえんとつ山を目指します

 

7:49

小高い山の頂上に煙突が建っているのがえんとつ山の愛称で親しまれている生子山(標高144.7m)

 

このあたりは豊臣秀吉の四国攻めの舞台となり攻防が繰り広げられた場所でもあります

 

明治21年(1888)、住友家初代総理人であった広瀬宰平は、東京大学の教授であった岩佐巌を招き、この地で湿式収銅法による収銅過程で、硫酸などの化学物質の抽出と更には、製鉄の試験を開始しました。官営八幡製鉄所の創業より7年前の事です。今では、高さ約20mの製錬所の煙突だけが残り、世界に短期間で追いついた明治の近代化を今日に伝えています。旧山根製錬所煙突は、平成21年に国の登録有形文化財として登録されています。

以上説明看板より

 

8:07

パジェロを山根運動公園の駐車場に停めて出発です

 

山根グランド側にも登山口(煙突山新登山道)があるはずですが調べる時間が無かったので、県道沿いの生子橋の近くの登山口を目指します

 

8:08

 

8:09

グランドの脇を抜けて国領川沿いに県道を進みます

 

8:09

別子銅山記念館は記帳のみで見学させてもらえます

 

8:12

大山積神社と別子銅山記念館の前を通ります

 

8:13

国領川の対岸は太鼓台のかきあげで有名な内宮(うちのみや)神社

 

 

この神社の参道を鉱山鉄道の下部線が横切っておりました

 

8:14

生子橋

 

8:14

えんとつ山入口キラキラ

 

ここは山根製錬所に鉱石を運ぶ牛車道だったようです

 

この牛車道は口屋から別子銅山本舗まで物資の輸送に続いていた28kmの牛車道とは別の山根湿式製錬所への搬入路だったと思われます

 

素敵な看板と杖チュー

 

8:15

下部鉄道の板ノ元駅から山根湿式製錬所へ生子橋を渡って明治21~28年この道を近江牛が鉱石を運び上げました

 

8:18

牛車道

 

坂の傾斜はけっこうきついです

 

【あと補足】

疑問が湧きました

色々調べていると山根製錬所は山の下(現在の山根グランド)の辺りに在って亜硫酸ガスを含む煙を煙道でより高い山の上の煙突まで上げていたらしい

 

とすればこの山の上に続く牛車道の意味はどういう事だろう?また、板ノ元駅の場所も遠すぎるように思いますが・・・はてなマーク

山根製錬所(明治23年)

明治23年の山根製錬所 

山の上まで60mの煙道が続いている

 

明治19年着工、21年完成

明治28年廃止

 

8:22

尾根に出ました

 

右へ行くと煙突へ、左は大山積神社の奥宮を経て登山道に至る

 

煙突は帰りに寄る事にして左へ進みます

 

8:23

 大山積神社 奥の宮

 

8:23

えんとつ山通信

 

8:23

登山ポストかと思ったら伝言ポストでした

 

8:27

松山自動車道のすぐ手前に下部鉄道の板ノ元駅があり山根製錬所へ鉱石を搬入していました

 

8:27
奥の宮の鳥居
 

8:29

大山積神社 奥の宮

 

8:29

奥の宮からの眺望

 

8:32

 

8:33

奥宮から先は急な登山道となるあせる

 

8:37 標高200m

住友共同電力山根線2番鉄塔越しにえんとつ山を眺める

 

駐車場からちょうど30分経過している

 

8:37

拡大してみました

 

えんとつ山の標高は144.7mなのでここからの標高差は55.3m

 

8:40

急な登りが続きます

 

 

8:44

標高約240mからの眺め 標高差95.3m

 

随分遠くになりました

 

8:45

鉄塔保守道と合流
 
生子(庄司)山城址まで約100m

 

8:50
生子山城址の展望台
 
この展望台は周辺の樹木が成長すると展望はなくなりそう
 

パノラマ写真

 

 

8:51

生子山城址から串ヶ峰(上兜山の肩)、西赤石方面を仰ぐ
 

 

8:52

夏草や 兵どもが 夢の跡

 

8:54

生子山城址からえんとつ山、滝の宮方面の展望

 

8:54

拡大すると下部鉄道の軌道跡が判ります

 

全区間ではありませんがサイクリングロードとしても残ってる

 

8:55

展望台から尾根を少し進むと道が分岐しているみたいです

 

左のトラバースする道が登山道みたいな感じですが、ピークに登る尾根道にはロープも張られているので登ってみます

 

一瞬ですが、鹿一頭と複数の猿が見えたように思います猿猿猿

 

8:55

こちらが尾根の左をトラバースする登山道?

 

8:56

ピークへロープ伝いに登ってみます

 

8:58

城主大明神の祠が鎮座してました

 

8:59

板ノ本四等三角点がありました

 

8:59

 生子(庄司)山城址 280.1m

 

下の奥宮の看板では280.1mから燧灘のパノラマビューが楽しめるとの事でしたがこのピークには展望はありません

 

先ほどの展望所の標高が280.1mかも知れませんね

 

とするとここは後方の山上で標高300.3m(三角点もあるし)という事になりますね

 

中世の山城の遺構などは何もありませんが天正の陣(1585年7月)で毛利勢(豊臣方)に攻められ落城したらしいですが本丸はこのピークか先ほどの展望所のどちらかにあったのでしょうか



ロープ伝いにこのピークに登ると猿兵が数匹で護っておりましたが、一時撤退していきました

 

しかし、さすがは城主大明神滝汗

 

兵が撤退したにもかかわらず悠然とツツジの花を掴んでは蜜を吸い続けてます

 

8:59

この三角点はおそらく300.3m

 

城主大明神ここにあり

 

♂の様ですね

 

ここから赤石山系へ向けて続く尾根を辿って行きますが犬返しにはあと45分程で到着する予定です

 

今回は写真も多く、長くなってしまいましたが、最後までご覧くださりありがとうございました

 

 

では、また

 

 

 

次回に続きます

 

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えんとつ山から石ヶ山丈へ

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