小1の息子がある日、学校で何かの作文を書いたら代表になったから居残りして清書してきたんだ!と誇らしげに言っていた。

多分、クラスで書いた作文の中から何かのコンクールに推薦されたのだろうか。
自分もちょっと誇らしい気持ちになった。また、その日息子が誇らしげにイキイキとしていたのが嬉しかった。もしかしたら嬉しいというよりも安心したのかもしれない。

その後は特に何もなかったのだが、この間、担任がその作文の写しをくれた。400字詰原稿用紙2枚の読書感想文だった。

読んでみた。
ママに宛てての感想文だったので、思ったことを語りかける文体で統一されていた。

泣いてしまった。

こんなことを感じてたんだ、と思って。
普段も、いろんなことに対して、こんなふうに思ったりしているんだなと思って。
思いがけずその語りかけが温かくて。


そういう息子の内面に思いもよらなかったのは、振り返れば、自分の方が心を開いていないからなのだろう。




母親の干渉や支配により成長期に心を抑圧して育った私は、自分が何をしたいか分からない子だった。
保育園の頃、自由に絵を描く時間というのが結構あったが、何を描いたらよいか分からなくて数字を書いていたのを思い出す。
それで、毎回数字を書いていたら、先生に「また数字?」と批判的に(という記憶がある)言われ、そうすると、数字は絵じゃないからやっぱり変だよなっていうのはよく分かるから、でも何を描いたらよいか分からなくて、時間がだんだん終わりに近づいて、画用紙は真っ白のままで焦って泣きベソでいると、「まだ描いてないの?」なんて困ったように言われて、「じゃあしょうがないから数字でもいいよ」なんていう感じに言われて
数字を書いてやり過ごす、なんてことも一緒に思い出してしまう。

小学校に入ってからは、それこそ読書感想文を書かされることが多かったが、感想なんてものは心の奥底に押し込んでいるからサッパリ浮かばず、ひたすら、感情が動きそうな部分のあらすじを書いてページを稼ぎ、所々に「面白かった」という感想だか何だか分からないフレーズを混ぜこんで誤魔化していたことが思い出される。苦痛でしかないやっつけ仕事だった。
だから、作文で評価された記憶は殆どなく、小3の時の音楽の授業でハチャトゥリアンの「剣の舞」を聴いた感想文で、「ジェットコースターのようだった」というようなことを書いたら三重丸をもらって褒められたのが唯一の評価された記憶だ。
前後に何を書いたかは記憶にないが、今思えばこの時は割と素直に表現できたように思える。


高校では、大学受験対策で小論文を書く機会が多かったが、やはり何をどう書いたらよいか分からず、三行程度書いたまま終了間際になるという有様で、小論文自体が苦痛でたまらなかった。
だから、受験は小論文がない大学ばかりを受験した。今思えば、周りも書いてる中身は大したことがなかったのだろうが、自分には何でもいいからとりあえず書くという勇気がなかった。


こんな感じで、自分が感じていること、考えていることをそのまま意識の上に言語的に上がらせることが苦手だったので、自分の子どもにはそうさせたくないという思いが強くあった。

だから、不自然でも息子の感情は否定しないように、ただそれだけでやってきたように思う。
どうしたらよいか分からないけど、自分も苦しいことがあるけど、息子には辛い思いはさせたくないと思っていた。


心配になること、不安になることはたくさんある。
でも、息子が自分の感情を素直に表現できていたことが嬉しかった。