この「やらない決意」、私の理解したところを本当にざっくりとまとめると、やりたいことなど行動できる人と分かっているけど行動できずにいる人との差はどこにあるかというと、それは「意志エネルギー」の使い方にあり、その意志エネルギーは誰でも同じ量だけ持っているが、片や大切なことに集中して使っているから肝心なことややりたいことに意志エネルギーを用いることができるのに対し、片や日々の雑事に意志エネルギーを浪費しているから、いざという時(やりたいことや大切なこと)に意志エネルギーがガス欠になるので行動できないという仕組みになっているのだから、意志エネルギーを浪費する行為をやらないようにしましょうと言って、他人のスケジュールに沿って行動しないとか、天気予報は見ないとか、着る服はルーティン化するとか、そういう日々の雑事で意志エネルギーを浪費することへの対処法を解説しつつ、意志エネルギーを重要なことに集中することの重要性を繰り返し説いている本です。
核心的と思われる部分を一部引用すると、大切なのは「何をやるか」ではなく、「何をやらないか」である(同書P7)、私たちを動かす燃料は体力ではなく意志エネルギーである(同書P23)でしょうか。
で、これを読んで、たしかにそうだよなあと。
やろうと思っていて、いざその時になるとやる気が起きなくてできず、ビールを飲んでその日を終えてしまう。そういえばここ何年かそんな感じの日が多かったなあと思います。
やる気にならずにできない時の気分って、多分感覚的には鬱に似たような気分なのだろうと思うのですが、まあ、とにかく行動できないのです。
で、自分は何をやめようかと考え始めて思ったのですが、その前に何に意志エネルギーを投入すべきなんだろう、そっちをはっきりさせるのが重要なんじゃね?
と思いました。
この理屈では、意志エネルギーを温存しておけば、何の活動にでも集中投下できるので、何でもよいのではないかと思われるのですが、やりたいことの決断は意志エネルギーの浪費が少ないレベル1で、他人から強制されたり、パジャマからスーツに着替えるとか普段なにげなく無意識的に行動していることがレベル2、3クラスの浪費になっているのだとされています。
たしかに、嫌なことをするのと好きなことをするのではどっちが自分にとって大事かというと後者であることは明白です。
で、自分は何が好きなんだろうと、45にもなって好きなもの探しをしているわたし。
以前なら、「いい年して・・・」みたいに自己規制(心に響く「世間サマ」の声)して、本心から遠ざかっていたのですが、今の自分の心の議会は「心の声を大切にして差し支えない(行動するかはともかく)」という思想の持ち主が少なくとも過半数を超えたので(正確なところは分かりません。未だ過半数に満たないかもしれませんが、世論の後押しもあり勢いがあります。)、素直に考えたことをこうやって書けています。
で好きなこと探し。
まず、今の仕事で想像してみる・・・・・
多分違うかな( ´_ゝ`)
では、なんだろう。
そういえば、前に、好きなことを仕事にできるなら何がよいか考えたことがあるのですが、パッと浮かんだのは旅行記を書くライターかなと思ったことがあります。
東北新幹線に備付けてある「トランヴェール」に、今も連載しているのか分かりませんが、「居酒屋を旅する」という、旅先で居酒屋に入り体験したことを紹介するという連載があって、目にするたび羨ましく思っていました。
だって、食べ物も酒もいかにも美味そうな居酒屋で、代金は多分JR持ちで、しかも筆代までもらえるんだから、こんな仕事いいよなーと(注:あくまで自分の想像です。筆者をディスっているわけではありません)。
ほかにも、塩野七生さんとかの本を読むと、イタリアに住んで(注:多分。自分のイメージです)地中海の美しい景色が見られて、歴史のこと調べられるし、ワインもスパゲティも美味いし、それで日本では作家で有名で本もたくさん売れて、こんな仕事できたらいいよなーみたいに羨ましく思ったりしました。
でも、そんな仕事どうやったらいいのかも分かりませんし、そもそも無名の人間に依頼なんかねーだろと、至極真っ当な現状分析の結果これも違うかなと。
で、さらに思ってみると、「何かを書きたい」というのが自分のやりたいことなんじゃないかなと思いました。
いや、以前からも何かを書こうと思っていました。
心理系のこととかで、何かすごい発見をした本とか出版できたらいいなーと妄想していました。
でも、いざ書いてみると億劫になりました。
なぜかな。
多分、書くことが目的なのでなく、書いたもので褒められようとか認められようとか、そういうことだったんだろうなと思います。
だから、認められるようなすごいものを書かなくては、という感じ。
書きながら、「こんなの書いてもすごくない」とか「もっと人が興味を持つことを書かなくては」とずっと考えるわけですから、必然的に疲れて書く気がしなくなる。
つまり、「認められよう」とすることは自分が好きなことではないということになる。
なぜなら疲れるから。
で、「何かを書きたい」に戻って、自分が書くことを本当に好きなのかは分かりません。
でも、好きなことに近そうなのでとりあえず何かを書くことにしました。
手帳とか、誰にも見せないものに書いてもいいのですが、やっぱりそこはモチベーションが違うので公開したい。
しかも、匿名なんで好きなことが書ける。
面白くなくてもオチがなくても、自分が感じたことを何でもいいから書いてみよう。
そんな風に思って、先週から少なくとも1日1回のペースを目標に書くことにしました。
そうしたら、ほとんど読まれないだろうブログの更新なのに、書くのが楽しくなりました。
ただ、軽いタッチで書くのがどうにも苦手というか、なるべく内心とか思考の経過を正確に表記しようとするのが自分のスタイルらしく、どうしても文字数が多くなってしまいます。
でも、自分のスタイルでない書き方(その時書きたいと思った書き方と違う書き方)をすると、ウソっぽいというか自分にウソをついていることになると思うので多分疲れるでしょう。
それは好きなことから離れることで、本末転倒になる気がします。
しかし、書くのに時間がかかるのでその時間を確保しなければなりません。
私は、書くことを整理するのに時間を要するというか書くこと自体は苦手かもしれません。
ホテルANNO1647の記事、たったあれだけを書くのに画像のチョイスとかもあり、たっぷり三時間は費やしました。
でも、書いていたらあっという間に時間が過ぎた感じで、そのこと自体は苦痛ではないようです。
あと、以前はスマホで書いていたのですが、PCで書くようにしたら書きやすいのでモチベーションにつながっているかなと思います。
先週は、ブログ書きのために何をやめようかと考え、禁酒をしてみましたが、4日で我慢の限界がきました。
そのほかに具体的にやめたことはないのですが、今のところとり溜めたテレビや、DVDや、読書なんかは後回しにしています。
そんな感じでゆるゆるですが、何とか1日1回のペースで書いていこうかなと決意してみたところです。
今のところ、そう思っています。