2010年 01月 11日 13:14 JST

ギザでピラミッド労働者の墓、「奴隷が建設」の通説覆す発見!

[カイロ 10日 ロイター] エジプト考古最高評議会は10日、首都カイロ近郊のギザで、クフ王の大ピラミッドなどの建設に従事した労働者の墓を発見したと発表した。ピラミッドは奴隷が建設したされる通説を覆す重要な資料だという。

 考古最高評議会のザヒ・ハワス事務局長は、声明で「墓が王のピラミッドのそばに作られたということは、この人たちが奴隷ではなかったことを示している」と説明。

 墓の壁にクフ王の友人という文字が記されていることからも、労働者が奴隷でなかったと考えられるという。


 発見された墓は4510年前のもので、労働者はクフ王のほか、カフラー王のピラミッド建設にも従事したとみられる。


 

 またハワス事務局長は、北部デルタ地帯などの農民らが労働者の食料として、水牛21頭、羊23頭を毎日送っていた証拠も見つかったと発表。これにより、農民らは納税が免除されていたという。


http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-13279920100111  より

ピラミッド労働者の墓

ピラミッド労働者の墓
ピラミッド労働者の墓

大ピラミッド建設労働者の生活を暴いた人物マーク・レーナー


~どのようにしてピラミッドを建てたのか、特にこの問題に対して適切な答えというのが出てくるはずだと。

今から28年前、弊協会(米国古代エジプト調査協会)の会長であるアメリカ人考古学者、マーク・レーナーが、このことについて考えようとギザ台地を踏査しました。当初言われていたのは、ナイル川があればですね、ナイルの東側は生きている人の町だと。そしてナイルの西側には墓しかないと言われていたんです。

ところが、レーナー自身が考えたのは、人間というのはそんな不自由なものじゃないと。ピラミッドが国家プロジェクトであれば、ピラミッドを建てるすぐそばに町というのもあるだろうと。そして考えたのがスフィンクスの南500m、「カラスの壁」と呼ばれる壁があるんですが、そこを発掘しました。

結果、これまで見たことがないような都市遺構が出てきました。

これが「ピラミッド・タウン」(ピラミッド労働者の村)と私たちが呼んでいるところです。以後、30年にわたるここの発掘調査が行われています。~

http://logmi.jp/13127  より

マーク・レーナー教授の下、ギザのピラミッドをつくった「ピラミッド・タウン」(労働者たちの町又は、労働者の村)の発掘調査を10年以上にわたり行っている江肖剰さんの出演された2013.4.20放送「世界ふしぎ発見」から

ギザのピラミッドを築いた人々が暮らしていた古代都市を「ピラミッド・タウン」と呼びます。

集合住宅で平屋なら2000人、2階建てなら4000人規模。

カラスの壁を通って労働に向かいました。

労働者たちは、羊、山羊の肉と食べていたようです。

貴族の邸宅跡も見つかっています。

こちらは大きな邸宅で、仔牛の肉を食べていたようです。

また、一帯からはパン焼きの際に用いられた土器が大量に出土しているそうです。

パンの焼き方は土器を上から被せて焼き上げる「蒸し焼き」で、土器は使い捨てだったよいうです。

「彼ら(ピラミッド労働者たち)は当時いいものを食べていた」~

https://宇宙旅行.biz/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3-981 より

ピラミッド労働者の村

ピラミッド労働者の村

ピラミッド労働者の村

ヘロドトスの『歴史』に記述されて以来、一般的には奴隷の築いた王墓とされてきたが、1990年代に入ってからギザの大ピラミッド付近でピラミッド建造に関わったとされる住居跡と墓が見つかり、豊かな生活物資や住居人のミイラ(身分が高くないとミイラにはされない)が発見されたことなどから、奴隷ではなく専属の労働者がいたことが明らかになった。また、ピラミッド建設に必要な高い建築技術は専門の技術者でなければ持っていないこと、建設に関する労働者のチーム編成や作業記録が文字で残っていることから、専門的な知識を持った技術者がいたことも間違いないと思われる。 また、住居跡があることから、技術者は年間を通してピラミッド建設現場に居住していたことが分かっている。ナイル川が上流のサバナ気候の影響で氾濫し、農業ができない間農民が労働力として使われていた救済土木事業説もある。



近年のピラミッド労働者の村の発掘で、労働者たちが妻や子供といった家族と共に暮らしていた証拠や、怪我に対して外科治療が行われていた痕跡が墓地の死体から見つかり、現在では奴隷労働説は否定されつつあるそもそも古代エジプト社会は古代ローマや古代アテナイの社会と異なり、農業や手工業といった通常の生産労働も奴隷労働に依存せず自由身分の農民によって成されており、人口の少数しか占めない奴隷は家内奴隷が主体だったと判明している。


ピラミッド - Wikipedia  より



紀元前5世紀にエジプトを旅したヘロドトスはその著書『歴史』の中で、「クフ王はエジプト全国民を強制的に自分のために働かせた」と記しています。今日、根強く残っている「ピラミッドは、過酷に強制された奴隷の血と汗で築かれた」という説は、このヘロドトスの短い記述から生まれたものなのです。
しかし、近年の調査ではこの記述を覆す事実がいくつか発見されています。


ピラミッドの石材を切り出したヘルワンの石切場で発見された労働者たちのいたずら書きは、王を讃える言葉や生活の喜びを歌った明るい内容でした。明らかに労働者は喜んでピラミッド建設にたずさわっていたのです。

ピラミッド建設は、奴隷ではなく、一般国民によって行われたのです。さらに、次のような事実があります。

ナイル川は毎年夏になると氾濫し、この間農民はまったく働くことができませんでした。ピラミッド建設は、農民が失業状態にあるこの氾濫期に集中して行われたのです。建設作業にあたる労働者には、賃金こそ支払われなかったものの、衣・食・住すべてが支給され、「ピラミッド建設中、誰一人として疲れ果てることも、ノドが渇くこともなかった」と記録されています。

すなわち、国民にとってピラミッド建設に携わることは、失業中に職を得たことになり、むしろ喜んで参加したといえるのではないでしょうか。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/01_sensi&kodai/01-09_pyramid02.html  より