ちゃんと働かせん会、1月の読書会を行いました。参加者はAさん、Mさん、Sさん、Tさん、TMさん、私の6人でした。
以下、コピペします(敬称略)
A やっぱり健常者は障害のある子を産みたくないのでしょうか?生まれてみれは、障害があろうとなかろうと、同じじゃないかと思います。
M 個々人に優生思想がある/ないという話なのでしょうか。それは、優生思想に親和的な人はいて、そういう人は差別的なことをする傾向がある、ということはあるでしょうけど。
Y 出生前診断を受ける親は、障害があったら堕胎を選ぶと決めてる人もいるのでは?
A 優生思想がない人はいないでしょうね。
S 何で『出生前診断』なのかな?
Y 障害があれば、予め、堕胎すると決めているから、出生前診断になるのでは?
A ダウン症のチェックがそもそもの目的。
S 児童妊娠(出産)はどう考える?
Y 児童妊娠、特に実父の子どもを妊娠しては中絶することを繰り返す子どももいます。それは悲劇でしかないと思います。
A 児童虐待の典型。
S でも堕胎(中絶)合法化と優生思想をつなぐのはダメ。10代同士の当事者のケースは?
Y もちろん、子ども同士が親でも、問題はあると思います。
それで、本の内容について、熱田さん何から話しますか?
A 判決についての感想はどうですか?
Y 執行猶予については、納得できないですね。殺人罪が3年以上だったのに、2年の求刑についても。
S 裁判官にも?優生思想?
A そうですね、優生思想丸出しですね
Y 裁判官より、検察が起訴したんだからいいだろうみたいな。弁護側が不同意の文書を黙って取り下げるとか。
S 減刑嘆願でも出た?
Y そうですね。減刑嘆願が出るのはお決まりのこと?こういう犯罪では。
M 2025年が厳罰化傾向で一般的に量刑が重くなっていることを差し引いても軽いですね。
Y 最低3年の所を2年の求刑が軽すぎる。
M その上で、裁判が無意味なものでは無かったという書き方ですね、本章は。
A 今だったら執行猶予は付かないですね。
Y それは歯科医師のように無罪になる可能性もあったからでしょうか?
M そうではなく、判決文に「障害児の命を軽んじたものではなく……」的な言い訳のような文が付け加えられたことをもって。
無罪になった先例からすると前進、という書き方ではあります。
A 無罪どころか不起訴になるケースが多かった時代でしたから。
TM 何年の事件ですか?
S 昭和45年。
Y 施設があればよかったという意見が主流だった?施設さえあれば、殺人は起きなかったと。
MT 施設って障害者施設ですか?
Y はい。
M 高度成長期という情勢が生産性至上の優生思想を後押ししていた。
Y 労働できない人は生きる価値がない、ということですね。
A そうですね。施設も建設反対運動で人里離れた山奥でした
Y 確かに、東京都の施設が山梨県の山奥にありました。
S 精神科病棟も。
M 都心の真ん中にはけして作られないわけですね。
TM今、現在でもそうですか?
A 建設反対運動が起きるから。今でも。
M 施設の本質が殺人の代替だからという。
Y それで、この章では施設入所者を「特殊人間」と呼んでますね。
A そうですね廃人。
S 部落問題で言えば
憲法13・14条を援用した『差別されない権利』を最高裁が決めた。
Y それは何年?
S 昨年末。
Y 今ごろ?
S 最高裁決定。高裁判決の追認。
A 遅いな。
Y 差別されないなんてことが、昨年末なんて遅すぎる。そんな当たり前のことが、最高裁で決まったとは、知らなかった。
M 差別されない権利というのは憲法14条を言い換えただけに思えますが。
S 法のもとの平等+幸福追求。
TM障害者差別解消法は、どうなってるんだか?
A そもそも禁止法ではなく相互理解法ですね
Y 禁止法と国内人権機関が必要ですね。
M LGBT法と同じだ。全部それですね。差別禁止とは絶対言わない。
Y 禁止法ってあまりなさすぎる。LGBTも理解増進?でしたっけ?
M そうです。
A そうですね。差別禁止は右翼から反対する。
M 本に戻りましょう。
Y 本に戻ると、特殊人間とは廃人を意味するんですね?
A はい、廃人ですね~
Y なぜ?自分の意思が通らないから?規則で決められて、外出さえできない。
A 自己意思疎通がそもそもできない。
Y 重度障害者?
植松死刑囚が「心失者」と呼んでましたね。
ST 神奈川の事件ですか?
A 津久井やまゆり園事件。
S ボクが伺ったハナシ
100人いれば百通りの障がい。だからマンパワー
Y 意思の疎通ができないから、意思がない訳ではないでしょう?
A それはそうですね。
Y この章でも書かれていますが、施設労働者と入所者の関係はどうなんでしょう?私は虐待のない施設なんてないと思いますが。どんなに善意の人が働いていても、虐待はあると思う。
M 障害者施設というものが、生産性に寄与しない人間を殺人の代替として隔離するための棄民施設であるということ、一方で建前でそれを福祉として定義づけようとする矛盾から、経営者と施設職員の間に意識の差が出来、一方で施設の労働争議が起き、また一方で進歩的と称する一部施設労働者は自らの抑圧を障害者への優越感で忘れようとし、それに対する障害者の闘争が繰り広げられようとしている、この闘争を経過しない限り真の障害者福祉は望めない。
A 当時は虐待は日常茶飯事でしたから。
TM 当時と比べると施設の数は増えてますよね?
M 施設職員も労働者として抑圧を受けていながら、「障害者を世話している」という優越感でそれを忘れようとする、という分析。
Y それで、ここに書かれているように、労働者側と闘える入所者いるんでしょうか?
A 皆無でしょうね。
S 利用者がどう組織されるか読めない
Y 「この闘いを経過しない限り真の障害者福祉は望むべくもない」とありますね。どうやって闘うのでしょう?
M 施設ではないし状況は違いますが北海道の農場に監禁されていた知的障害者が農場を提訴したことは闘いと言えるかと。
Y でも、45年も。
経営者が亡くなったから、提訴できたのかも?
A 施設収容から地域へと流れて行くのはもうちょっと後です。
Y 地域で暮らせるようになるにはどうしたら?
MT 働ける場所も必要ですよね
Y 働けない人は?
S 慣習と部屋が足りない。
Y 公共の住宅でも、空き家はたくさんありますよ?
A まず所得と介助の保障。
M 年金、生活保護。利用できるものは利用。
Y この辺でまとめませんか?
M すいません、少しだけ。この本だと結論的には施設入所者が職員労働者と闘うという書き方ですが、その少し前にあるように、施設労働者が障害者と共に闘わなければいけないということが言いたいのではないかと思いました。
Y そうなんですね。それは気が付かなかったです。それでどう闘うか?今は障害者に対して、抑圧された優越感を持ってるんですよね?労働者。
M 施設職員が障害者と共闘しなければならないとは本章には書いていないのですが、「障害者の親兄弟は障害者と共にこの価値観をもって迫ってくる社会の圧力に立ち向かわなければならない」と書いているところは、施設職員にも当てはまるのではないかと思うのです。
Y なるほど。
でも、親きょうだいは今のところ、殺す側の人たちですよね?社会の圧力に立ち向かうには?
M 施設労働問題と施設虐待問題を同じ矛盾から発生するものと捕らえていることも、「共闘」をにおわせていますね。
Y その矛盾とは?
M 生産性効率主義から生まれた棄民施設を福祉と言い換えている矛盾。資本主義社会の要求と自由平等博愛の理念の矛盾と言えますか。
Y 自由平等博愛という思想が日本にもあるでしょうか?
M 戦後民主主義と言われているかと。
Y それでまとめると。この章のまとめだけど。
M 判決は軽すぎるものであっても、障害者運動が重症児殺害事件裁判に対して与えた影響は小さくはないということ。
高度経済成長によって加速された生産性至上主義によって作られた殺人の代替の棄民施設が障害者福祉施設であるという矛盾。
障害者を殺してきた者、親兄弟、施設職員は本来なら障害者と共闘し根本的な矛盾と闘わなければならないこと。障害者は、自らへの抑圧を忘れ障害者を抑圧する親兄弟、施設職員と闘わなければならないこと。その先にしか真の障害者福祉は無いということ。
Mさん、ありがとうございました。今日はこれで終わりにします。
以上転載しましたーーーー
これまで、読書会と定例会を月に1回ずつやるようにしてきましたが、メンバーの仕事の都合により、隔月にして読書会、定例会を行うことになりました、
2月15日は定例会で、テーマは「障害者と公共交通」です。