脳性マヒ者で何が悪い! | 統合失調症mikanの「差別される側の論理」

統合失調症mikanの「差別される側の論理」

mikan個人のブログにしましたが、精神障害の話が中々書けなくてすみません。どうしても政治のほうが興味があり、ついつい政治的な話題になってしまいます。FBFには、「障害者が政治を語る」ところが、私のブログの売りだと言われました。

1979年養護学校義務化が開始されたのは、今から42年前の事である。私が12歳の頃で、 2007年に特別支援学校(14年前)となった。

 

少し昔話をしよう。
 

私は子供の時から両親に「みんなの足手まといになるな!」と厳しく教えられてきた。その教えから「僕はまともじゃないのだ」と思い続けた。苛めというかバカにされることはしょっちゅうで、負けん気が強かった僕はよくケンカをしていた。けんかはするが、負けて、たくさん悔しい思いもしてきた。


 

子どもの時に出会う大人は、変な人ばかりで、祈祷師まがいの男二人連れに「君は余り生きられない」と言われたのだが、54歳にもなるが普通に生きている。


 

子供時代に入院している時に、勝手に部屋に入り込んで、私を見るなり拝んだ人もいた。すぐ親父が病室から排除してくれたのは言うまでもない。


 

両親や教員、周りの大人たちは私の障害に対して「可哀想に」「お気の毒」などの言葉しかなく、親戚の叔父などは私を前にして「お前がまとも(健常者)だったら」と嘆いていた。

肉親だから言える話もあるのは理解できるが、何も当人を前にいうべき言葉だったろうか?


 

私がやっと自分の障害について肯定できる言葉と出会ったのが、20歳の時に出会った「青い芝の会」であった。


 

「障害があって何が悪い!」「脳性マヒはひとつの個性だ」この言葉に長年積もり積もった疑念に霧が晴れた気持ちがした。


 

小・中・高校という、いわゆる教育課程に、青い芝の会のような障害肯定論を聞けていれば、私の10代も違っていただろう。