この事件が終わっても、虐待はなくならない | 統合失調症mikanの「差別される側の論理」

統合失調症mikanの「差別される側の論理」

mikan個人のブログにしましたが、精神障害の話が中々書けなくてすみません。どうしても政治のほうが興味があり、ついつい政治的な話題になってしまいます。FBFには、「障害者が政治を語る」ところが、私のブログの売りだと言われました。

2020年を振り返ると、コロナ騒ぎに終始してしまったようですね。


それから昨年には、植松被告の死刑が確定しました。これだけ多くの被害者を出した事件、死刑判決しかないのはわかっていました。


それでも、死刑制度には反対です。


植松死刑囚を処刑しても、障害者に対する差別や偏見がなくなるわけではありません。


今後ともこのような、施設での虐待がないか注視し、そのような動きには、障害者から働きかけていく必要があるでしょう。


N・Hさんが書いているように、この事件が終わっても、虐待はなくなりません。




以下、N・Hさんの投稿を転載させていただきました。


20203月には相模原やまゆり園障害者殺傷事件の植松聖被告が「死刑」判決が確定したことを忘れてはならない。


最近私は、雨宮処凛著の「相模原事件・裁判傍聴記」を読んだ。


そこにはネット社会で、名を明かさない障害者ヘイトが植松被告が賛美しているという。これこそが実体が見えない優生思想であり、障害者差別の根本だと思う。


植松が小学校低学年で「障害者はいらない」という趣旨に作文を書いていたと裁判で判明した。これは単なる異端児の奇怪目いた者なのか?植松が育っていく過程で、社会に根強く残る、嫌満ち溢れている御言い換えてもいいぐらいの優生思想に染められてきたのではないか!


実際、元東京都知事の石原氏が、重複障害者に対して「この人たちに人格があるのかね?」と言い、ホリエモンが障害者の労働に対して差別発言をしていたらしい。


この事件が終わっても、障害者施設・高齢者施設などの虐待は一向に収まる気配がない。