石手川ダムに行った帰りに、
ちょっとだけ寄り道。

私がいつも散歩している重信川にとても縁のある
「岩堰」を見に行って来ました。



むかしむかし。

松山のお殿様加藤嘉明公は、家来の足立重信に
石手川を付け替える工事を命じました。

昔の石手川(湯山川)は流れもはっきりしておらず
大雨のたびに田畑や人々の家を押し流し、
多くの人が亡くなっていました。

そこで重信は、岩堰の岩を切り開き水路を南西の方に伸ばし、伊予川に合流させ、
新しい川を作り上げたのです。

          (ふるさと松山より抜粋)



国道317号線に架かる岩堰橋の下に、
段差を落下する滝が見えています。

重信は、この地点から工事に取り掛かりました。



木々に隠れていますが、
ごつごつとした荒削りの岩が見えています。

これが石手川改修の際に最も困難であった
岩堰の開削跡です。



当時は火薬や削岩機などは無く、
げんのうや石のみを使って岩を割っていたそうです。

岩を割りやすくするために火を起こして岩を焼き、
水をかけて急に冷やすなど、
全部手作業で行われていました。



少し歩くとオシャレな赤い橋が見えて来ましたよ。

道後村めぐりの17番。



大正13年に架けられた橋は、
人間で言うところの、おん歳97歳!

平成15年には、景観形成重要建造物に指定。
近代土木遺産Cにも認定されています。



橋の名前は塔の上に刻まれています。

『し は き せ は い』←



長さ18.2m
幅1.4m。



足立重信は人々を励ますために
「岩を一升切り崩せば 米を一升与える」
とおふれを出し、

切り開かれた岩盤はついに、
200mもの長さになったそうです。



こちらが岩堰の上流側。

川の水で侵食されたものではなく、
全部人間の手によって刻まれた跡なのですね。





橋を渡って反対側へ。



こちらは漢字書きの 『橋 堰 岩』←



鋼製のトラス桁にコンクリートの主塔が、
モダンでカッコいい!

主塔の橋の下はアーチ構造になっています。





吊橋になっているケーブルは、
主塔に穴を開けて通されています。



以前は川に沿って付けられていた橋桁が、
現在は鉄柵に取り替えられていました。

姿が変わっていくことは残念ですが、
安全に渡す役目を果たすためには仕方がない事かもしれません。



その後、湯山川(石手川)を合流させた伊予川は、
足立重信の功績を讃え、
重信川と呼ばれるようになりました。

人名が川の名前に付けられるのは、大変珍しいのだそうです。

松山市の中心を流れる石手川や、
大きな一級河川の重信川。

歴史を知ると、より親しみが湧いてきますね。

さー。
さっさと用事を終わらせて、
今日もいつものお散歩行ってきます!

暑いかな。