信者には、大農家だと語っていた組織でしたが、現在北朝鮮にある文鮮明の生家を見れば、当時どこにでもあるような家だというのが解るのです。

大農家の遍歴は見る影もなく、貧しい農家だったと考えたほうが無難でしょう。

 

貧しい農家の息子が、よそ様のマクワウリを子どもたちにもけしかけて、窃盗の親分として悪びれるもなく、謝罪もなく言い負かしたことが良いことのように語る文鮮明の「親の教育」はどういうものだったのかと考えるのでした。

親も手を付けられない息子であったのでしょう・・・(バクチ大好きで売った牛のカネもつぎ込んでしまう)。

 

子どもの教育をないがしろにして、「チチ」を吸わせる母と祖母って、、、男尊女卑が家庭の中で男(息子)に対して何も言えない立場だったのでしょうか?

 

親族の畑を荒らしたことに対して、何らかの謝罪は息子の知らないところでしていた可能性もある・・・。

 

しかし、これが自分の畑が悪ガキどもに荒らされたら文鮮明と親はどうしていたでしょう。

文鮮明と同じように言い負かすような状態なら引き下がるのでしょうか?

 

窃盗した当時、文鮮明の家ではどんな作物を作っていたのでしょう。

どうして、自分の家のワクワウリを取らなかったのでしょう。

 

文鮮明は2012年に他界しているため聞くことはできませんが、どなたか当時のことを知っている方にお尋ねしたいです。

 

 

貧しい農家の青年が成り上がるために、宗教はとても魅力のあるものだったのでしょう・・・。