ちゃぬさんの記事転載加工あり

 

日本統一教会「空気銃摂理」の出発点(4)


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■統一教会における「銃摂理」の略歴
1958年 空気銃生産(1958年仁川の朱安工場から出発)
1960年頃から統一産業が韓国軍に銃を納品
1964年12月13日 第1回全国空気銃狩猟大会(韓国)
1966年4月15日 水沢里統一産業工場落成式(韓国)
1967年6月14日 文教祖が直接久保木会長に空気銃の輸入を指示する(東京)
1968年1月16日 幸世物産(後の「ハッピーワールド」)が空気散弾銃2500丁の輸入許可を受ける 
1968年12月18日 第1回韓日狩猟大会開催(済洲島)
1970年1月17日 第2回韓日狩猟大会(済洲島)
1971年3月26日 統一教会の空気銃の輸入が国会で問題となる
1993年 文国進氏がアメリカで拳銃メーカー「Kahr」を設立
1994年1月12日 第1回世界平和観光釣り狩猟大会(済洲島)釣り272名・狩猟66名
2002年1月4日 第1回「韓日狩猟CHAMPION CUP大会」主催:(社)大韓狩猟管理協会、世界文化体育大典狩猟分科委員会(済州島)
200?年1月5日 第2回「韓日狩猟 CHAMPION CUP大会」主催:(社)大韓狩猟管理協会済州道支部、世界文化体育大典狩猟分科委員会(済州島)

$ちゃぬの韓国日記

空気銃の摂理の歴史は案外古いのですね。「1960年の聖婚式」前からの摂理です。長年教会に従事されている先輩家庭の方がメールをくださいました。

その方の情報によれば

「空気銃の摂理は、政権にすり寄る為に始められた摂理です。いわゆる主権復帰の為で、経済復帰は二の次でした。日本では、鳥獣審議会というところで、半矢(半殺し)になるということで、狩猟許可禁止の方向で検討が始まりました。そこで、既に空気散弾銃(B3)を持っている教会員を全国から集め、一般の狩猟家を交えて狩猟大会を群馬県の赤城山麓で行いました。半矢にならない、立派に狩猟できるとアピールする為でしたが、功は奏さなかったようでした。噂では、自民党に献金するのをためらったからだというのが流れました。私もB3はもっていましたが、それは威力がありました。半矢なんかにはなりません。狩猟家は、あれはまだ許可降りないのかとよく言っていたと言います。結局B3の許可は所持許可もおりなくなって、空気ライフル銃に代わりました。それが3Bです。そして、教会では、教会史の中で、空気銃の摂理は失敗したと言われながら、3Bの販売は続けられ、たしかM1ライフルの製造と政府への納入が認められたとかで、統一産業では摂理は勝利したと密かに全国の銃砲関係者を集めてささやかな摂理勝利の祝賀会が開かれました。」

ということです。
摂理の初期段階は『1968年1月16日に「幸世物産」(後の「ハッピーワールド」)が空気散弾銃2500丁の輸入許可を受ける。さらに1万5千丁輸入の申請が出ていたが、この空気散弾銃は狩猟用としても、また競技用としても不適切であるとして猟具としての所持が認められなくなり、その申請は不許可となった。その後1971年3月26日 上述の空気銃の輸入が国会で問題となる。』とこういうことがあったわけです。

1958年当時の韓国は「李承晩政権」ですが、「李承晩政権」は1960年4月に失脚したため、ここで「政権にするよるため」とは1963年からの「朴正熙政権」でしょうか。または、軍部の中枢格、あるいは諜報(KCIA)との人脈により話が持ちかけられたのでしょうか?



■統一産業は、韓国軍に銃を提供

『統一協会では草創期の1960年代に「統一産業」を設立し、銃の製造を始めました。アメリカのコルト社製M-16のライセンス生産と、その他の軍需品を韓国軍に提供しました。軍事産業に進出し、韓国の軍事政権と癒着し、権力者と関係してきたことは、韓国軍の中佐だった朴普熙氏の入教と、その後の幹部への大抜擢からも明らかです。近年公開された外交文書にも、韓国政府と統一協会の“関係”が示されています。

<外交文書公開>朴正熙政権と統一教会めぐる疑惑問題

朴正熙(パク・チョンヒ)政権当時、米議会やマスコミを利用し統一教会を背後で支援していたという疑惑が持ち上がり、政府は対策会議を開き関係清算を試みた。外交通商部が4日に公開した「文鮮明(ムン・ソンミョン)と統一教会活動」に関する外交文書により明らかになった。米下院国際関係委員会のフレーザー委員長(当時)は前職駐米大使館幹部の証言などを基に、文氏の通訳であり大使館武官だった朴普熙(パク・ボヒ)氏が、大統領や外務部長官、中央情報部部長らと直接接触できるシステムがあるものと判断し、1976年6月22日に聴聞会を行った。また、複数の米有力メディアも、統一教会と韓国政府の結託疑惑を提起した。ニューヨーク・タイムズは1976年5月25日付で、文氏率いる統一産業が韓国で小銃工場を建設する際、朴氏が朴正熙大統領に会い事業支援について話し合ったことや、韓国の公務員教育が統一教会系の反共産主義政治団体「国際勝共連合」で行われたことなどを報じている。
同紙は文・朴両氏と朴正熙大統領のさまざまな関連性を紹介し、「統一教会が独自の成長を遂げた後に韓国政府がこれを利用したか、最初から韓国情報要員により調整を受けたもの」と主張した。
時事週刊誌「タイム」は同年6月14日付で、1974年にニクソン大統領弾劾聴聞会が行われた際、文氏が徹夜で祈りを捧げるなど活発な政治活動を行ったと紹介し、ニューヨーク州だけで保有不動産が1700万ドルを超えるなど宗教団体免税資格をめぐる論議を呼び起こしたと報じた。ただ同誌は、朴正熙大統領が文氏を援助していたという決定的な証拠はないとし、おそらく単純に便宜上の結びつきだったのだろうと結論付けている。
韓国政府の支援なくして文氏の成功はなく、朴正熙大統領もまた、文氏の反共産活動をありがたく受け止めていたとの見方だ。政府は統一教会とのコネクション疑惑が持ち上がった当初、「憲法上、宗教の自由と政教分離の原則を採択している韓国政府の立場として、統一教会に対する論評や特別な指示はあり得ない」とコメントするよう在外公館に指示するなどの対応を取っていた。しかし、有力メディアのこうした報道が相次ぎ疑惑が広がったことを受け、関係官庁で対策会議を行い本格的な対応に着手した。外務部長官と大統領に報告された6月2日付の駐在関係部署対策会議の内容によると、当時韓国政府は、米国側が統一教会と韓国政府の関係を暴こうとしている背景には、韓国の反体制キリスト教関係者と米国内の反韓国勢力が結託した陰謀があるとの見方を示した。それと同時に、統一教会系リトルエンジェルス会館の賃貸料をソウル市の財源で補てんすることを中断し、政府高官が統一教会の行事に参加したり関係団体を活用することをつつしむよう指示するなど、関係清算のために動いていた事実も文書から明らかになった。
http://korea.nifty.com/news/News_Read.asp?nArticleID=23629』
(統一協会と銃(堕天使のトリック)より)
http://plaza.rakuten.co.jp/kanteishoku800/diary/20080614/




■「銃摂理」における文先生のみ言葉

真の御父母様の生涯路程(4)より

第四章 真の御父母様の聖婚と第一次七年路程

三 経済基盤完成のため事業経営

<空気銃生産(一九五八、仁川の朱安工場から出発)>

朱安に工場を造らせました。その時は工場に何もなかったのです。助手が一人いて、それからあの挟む道具が何ですか。バイス(万力)でしょう。そのバイスが一つあって、それ以外には刃物数個と、のこぎり、かんな、それしかないのです。それは今のお金にすれば、大体一万五千ウォンあれば買えるものでしょう。それが銃工場の起源です。それでおよそ七年間は常に投資しました。お金がかかりました。約三年前に初めて市場を相手に販売する基準にまで至りました。この期間はどのような期間だったでしょうか。私たちがこれを製作するにおいて、どのような分野にミスが生じたか研究する期間でした。専門分野において、故障するところを完全に把握しないまま大量生産し、それが失敗した場合、莫大な損害を被ってしまうのです。そのような専門分野に該当する部署を、私たちが完全に把握するまで約七年かかりました。こうして、約七年過ぎて一昨年から、大量生産しても間違いないという自信をもってやり始めているのです。このように十年の歴史を経て、銃を造り始めたのです。この期間、食口たちもみな、「何で銃を造るの。銃を造って鳥を殺そうとするなんて。何でそんなことするの」と言ったのです。みんなでこそこそと議論を交わしたのです。集まってはひそひそ話をたくさんしたのです。今となっては、これが企業化され、韓国においては、特許製品に成功した会社として一番もしくは二番に選ばれるようになったのです。そのように発展させてきたのです。現在皆さんは外で銃を売っていますが、この銃というものは本当に気の利いた物です。時代の気風にふさわしい物なのです。韓国は反共国家だからです。北韓では共産党を中心として軍事訓練をして下りてくる時局にあります。このような実情の中、韓国にいる為政者たちは、共産世界の脅威を、将来再び北韓が南侵するかもしれない脅威を感じる瞬間に置かれているというのです。このような時期であることを考えた時、今後政府を背景にすれば、これを無制限に発展させることができるというのです。そのような背景を私たちがもっているのです。現在そのような立場にあります。それでそのような内外の与件を中心として、今後反共講義をして訓練し、先生がしっかりと構想して、ある一時を望みながら今歩んでいるのです。

<水澤里工場の経営>

先生はあらゆることにアベル的な責任を全うしてきました。これが先生の生活哲学です。さらに大きな公的なものの前に立つ時は、謙遜にならなければなりません。思想的な面で先生は霊界でも戦い、地上でも戦いました。商業面で見ても、精誠を尽くしたところがたくさんなければなりません。彼らの精誠に報い、工場の基盤を整える時までは努力しなければなりません。まだまだ努力すべき部分が残っているので、天の前にお金がもうかるようにしてくださいという祈祷はしません。これまで私たちは、涙と血と汗を流しながら神様の心情を学びましたが、これからは、経済的な基盤を築いていかなければなりません。世界を復帰するためには、世界的な経済基盤が必要だというのです。それで先生が工場を経営しようとしているのです。それはどうしてそうするのでしょうか。精誠を尽くそうというのです。お金を稼ぐことも重要ですが、お金をもうけること以上の精誠を尽くそうというのです。天と地が公認し、億千万金をあげても換えられない、そのような基準まで精誠を尽くそうというのです。天宙の財産をすべて集めても余り得る精誠を尽くしなさいというのです。

<工作機械製作>

これからは工作機械を造らなければなりません。その準備は、既に二年前からしてきています。人が十年を費やすその時間と努力と誠意の量を、わずかの期間の中に注いでするのです。そうしようとすれば、夜寝ないで、寝ても覚めても、どこに行ってもいつもそのことだけを考えるのです。そのようにしてその部門を任せたのです。そうして、それに対して自信がついたのです。銃を開いてみれば大したものではないのです。そうするうちに数カ月が過ぎると、それに自信がつくのです。約一年もすると隅々までとても詳しくなったというのです。それで三年の基準を中心に準備し、ある基準に、軌道に乗せようとしていたのが、一年八カ月で軌道に乗ったのです。そうして、そこで責任者たちが、工場長、生産部長から班長たちまでが「やあ、もう先生が作れとおっしゃるもの、何でも作れる」という自信をもつようになったのです。そうして機械を造るのです。何の機械を造るのですか。鉄を削る旋盤を造るのです。旋盤は工作機とも言います。それを造るのです。それで全数量を私たちが造り出すためには、三年はかかります。三年以内に、純粋に旋盤だけ二千台、付属機械まで約二千台は造らなければなりません。そうすると一年に七百台を造らなくてはならないのです。それをどうやって造るのでしょうか。七百台造ろうとすれば、一日に何台ずつ生産しなければなりませんか。一日に二台ずつは造っていかなければならないのです。私たちは早朝六時に起きて、夜十二時まで仕事をするのです。食事時間は三十分だけです。六時半には既に作業を開始し、十一時まで仕事をするのです。その中に朝食時間三十分、昼食時間三十分、夕食時間三十分だけです。それ以外は機械についていなさいというのです。そう、十八時間仕事をするのです。今後私たちは世界のどの工場にも負けない工程をつくらなければなりません。競争する時は、次の三つが重要です。計画管理、組織、技術人力です。これさえきちんと確保すればよいのです。それが完全に一致すれば、一つの製品にかかる時間は短縮することができるのです。

<地域経済基盤の助成と農桃園>

今後、先頭に立って私たちの発展にきちんと責任を負える人と、そうでない人とに分け、後方の経済体制を備えていかなければなりません。それで計画したことが、今後、各地区と地域単位で工場を新設しようということです。今、我が国では第二次経済開発五カ年計画を推進しています。私たちもそこに歩調を合わせ、私たちの対内的な基盤のために、八つの地区を中心とし、百五十箇所の地域に分工場を造ろうというのが先生の計画です。今後は私たちが面単位の区域を中心として、農業ができる基本単位の農地を準備しなければなりません。それで今盛んに建てている農桃園を発足させようというのです。この農桃園では、将来み旨の前に入ってきた青年たちを全員連れてきて、農業指導をしなければなりません。少なくとも農地を四千坪ないし五千坪は準備して、農業を教えるのです。そして精米所も造らなければなりません。農村の人たちをいきなり工場に連れていっても、機械がどのように回るのかよく分からないのです。それでうちの食口が来て、精米所を運営するのです。農閑期に遊んでいる若者たちを全部集め、村中の稲や大きな農場の稲を全部集めてきて、それをついて売るのです。そうすれば二重農業になるのです。ここで素質のある青年たちに精米所の発動機を動かすようにさせるのです。また、科学的な農業の方法を指導しながら、現地の実務担当者として、実際に見習いもさせなければなりません。そうしてともかく韓国の農村に科学的な農業を実現しなければなりません。それをこれから着手していくのです。

<韓日間の経済交流>

 日本にあるうちの会社と、ここにあるうちの会社は、もう一つの所属です。そうすれば、韓国で会社を新設する時、日本の注文を受けて私たちが物を買ってあげれば、人が来る必要がないのです。幸世物産といううちの会社があります。また、日本は、先生が話せば三時間以内に北海道から九州まで伝達され、五時間以内にうちの食口がその会社に行って交渉できる組織をもっているのです。それがどんなに素晴らしいことでしょうか。どこへでも行けるというのです。それゆえ韓国で今後必要なすべての機械を入れるには、自ら交渉するよりも組織を利用するほうが、何より利益になるということをみな知っているのです。また、これは韓国ですることですが、日本に行って交渉する時は、日本の食口が日本人に対して交渉するので、信用度が一〇〇パーセントだというのです。絶対に踏み倒すことはないのです。



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