ダメ母おぼえ書き と、犬が申しておりました。。。(/_;)/~~

昨日は雪がちらつく中を散歩してみましたが、、ほんとに嬉しそうにしてました。。。


高校サッカー、、広島皆実が優勝してうれしい。。。やっぱりケンジンなんですよねほ。。

見ながら


ダメ母おぼえ書き 編んでたら、、2足目が上がりそうな勢いです♪

(にしても、、画像暗いな(ノ_-。)


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を1回読み終えました。。。ではでは抜書きを、、


ある事故で、右脳をすべてとってしまった人がいるのですが、この手術をした後には、医師たちはその人はまともに歩くことも話すこともできないだろう、と言っていました。しかし、はじめはもちろん歩くことなどできなかったのですが、指を動かすリハビリを続けたところ、その人は普通に歩けて生活ができるようになったんですね。指を動かすことで、新しく脳が進化を始めたんです。これは、非常に面白い症例です。今までの脳の考え方では、脳が手足に「動け」と指令を出し、手足が動いていると考えられていました。しかし、私たちは、手や末梢神経を動かすことによって、逆に脳を作っているんです。


・・・手仕事の重要性は、、シュタイナー教育とかフィンランドの教育でも言われているのですが、、、これ、

子どもだけでなく認知症の老人にも。。。でも、老人会の作品展とか見に行きますと、、ほんとに立派な作品を作っていらっしゃる。。。問題は老人会等等に入っていない人か。。。


末期のガンの患者さんが「私はもう死ぬんでしょう?」と言ったときに、日本の看護師さんは、だいたい2通りの反応をするんです。「何言ってるの、そんなバカな話はないよ」というか、「大丈夫だよ」って励ます。これはどっちもダメなんです。僕はアメリカのやり方がすべて正しいとは思わないけれども、アメリカの良い病院では病人に対する心理学をきちんと学んでいる看護師さんがいて、ちゃんと接してくれますね・・・アメリカでこういうふうに言いなさい、と言われていることは「どうしてそう思うの?」って問うことなんです。肯定も否定もしてはいけない。「つらいの?どういう時につらいの?」というふうに、どんどん聞いてあげるんですよ。そうすると、しゃべっているだけで、「ああ、この人は僕といてくれている、一緒に連れ添ってくれている」って思うんですね。そこが大事なんです。

人間は本当はすごく頭が良くて、何が愛のある行為で、何が愛のない行為なのか、ということはちゃんとわかっているんですよ。わかっていても、普段は違うルールや感情で動いているから、心の底から愛を引き出せない。引き出すために口で言ってもダメなんです。受容してあげることが一番必要なんです。切手って、剥がそうと思っても絶対に剥がれないけれど、お湯の中に入れとけば剥がれるじゃない。だからお湯のような存在になって、横で黙っていてあげればいいんですよ。そうすると、面白いくらいパラッと剥がれるんです。



コメントありがとうございます☆☆


かえるミルクシェーク母さま

抜書きを、、、(///∇//)


ジュネーブの晩餐会で「カリスマ」ブータン人に初めて会った。ある国際会議に出席していた代表団だった。数年後には首相や大臣となる彼らから「国民総幸福量」という考えを教わった。食事をとるのも忘れ、目を丸くして聞き入る私を楽しそうに見ながら、彼らはこう言った。「援助はありがたい。が、自立精神を傷つける危険を孕む。我が国の開発戦略は、援助からの速やかな卒業を1つの目標としている。」


1997年秋、パロ国際空港に降り立った瞬間、重量感のあるオーラを意識する。人のカリスマは直感できるが、国にそれを感じるのは不思議と、吃驚したのを思い出す。

大臣、役人、県知事、村長、民間経営者らはもとより、農民、僧侶、教師、医師、果ては小学生まで、毎日出会う「リーダーシップ理想像(人を引きつけるビジョンと情熱。右倣えをせぬ勇気。人の上に立つは下に居ることと知る謙遜。異なる視点や反対意見を重んじる寛容。信念鉄の如く、惚れ惚れするほど繋がる頭とハートと行動。まことの力は、自ら権力を放棄してこそ授かるものと熟知する人徳。まとめてカリスマ、重量感。)」に、驚き続けた。そして彼らの筆頭、理想像たちの理想像が、「雷龍王」だと知った。


首都テインプーの北部、街並みが田畑に移り変わる辺りの川沿いに、タシチョゾン(栄光ある教えの砦)が佇む。末広に地を踏む四方櫓風の白い砦はヒマラヤの如く巨大なのに、ベンガラの屋根に金の宝輪の線が軽く優雅で、城はまるで羽ばたく鳳凰のように見える。白壁に並ぶ木組みの窓がなぜか懐かしい。陽当たりのいい中庭には薔薇が咲き溢れ、秋風が薫る。回廊の壁には、国中から集めた草木や石土の色で描かれた吉祥紋や仏画が躍る。この麗城に、国王の就務室と主だった役所が、ブータン仏教の総本山と聖俗同居する。


迎えてくれた国王の手が凍るように冷たかった。海抜2400メートルの謁見室をぐるりと見回して、片隅の窓際にできた小さな日溜りへ「ここが暖かい」と導く国王。貧しい民を想って丸太小屋に住み、暖をとれない人々を案じて真冬も火の気なしの生活、と半信半疑に聞いたことをふと思い出した。


「人の世に不変なものは変化のみ」と前置きして、国王は政治改革の話題を選んだ。君主制度は、もう国民のためにならない。国の将来は民の選択に託すべきだ。問題は、民主主義の可否ではなく、具体的にどういう民主主義の形を選ぶかだ。各国の経験から長所をとり入れ、短所を学び、我が国の歴史と文化に適した民主主義をつくり上げねばならない。世界各国の憲法は手に入るものは全部読んだ、日本の憲法も英訳を読んだ、と国王は私を驚かせた。


改革は世の常、逆らえるものではない。積極的に先取りするほうが賢いのに、国民は今のままでいいと反対する。国王になりたくてなったのではない。偶然この命に生まれただけ。自分がもし悪王だったら、我が民はどうするのかと、まるで堰が切れたように話し続ける雷龍王に、計り知れなく深く厳しい、指導者の孤独を感じた。


昭和天皇に会った人々は、人柄に打たれ感動したと口を揃えて言うが、わかる。マッカーサー将軍が、自分の一身はどうなっても構わない、ただ国民を救ってやってほしい、と言う天皇に「雷に打たれたような」衝撃を受けた、とどこかで読んだ覚えがある。それもわかる。ちなみに、平和と国民の幸福を祈り象徴に徹した昭和天皇を、国王は心から尊敬していた。崩御の時の悲しみは、まるで父を亡くしたようだったと聞く。


たいそうお悦びだったとフィードバックする大蔵大臣に「雷龍王の雷に打たれ、魂が洗われ、勇気のお土産まで賜った」と報告。だまって深く頷いた大臣の目に、なぜか涙が光っていた。


翌年。国中に轟き渡る雷龍王の雷が、人々を驚かせた。国王は、国家元首の役目を新内閣議長(首相)に譲り、国家安全保障責任以外の行政権限を内閣に委譲。信任投票による国王弾劾法案を国会に提出した。ブータン政治改革の歯車が動き出した。 (敬称略)

                                                   2005年8月号『選択』に掲載

これは、

ダメ母おぼえ書き 現国王の父君第4代ワンチュク国王のお話ですが、、

現国王の妹さんもハーバードのロースクールで学んでおられたようですし、、
目の離せない国ハートになりそうですね。。。。。。やっぱりラサアプソがいるんだろうか???ほ


高田ケンゾーさん、、復帰したと思っていたら(TAKADAというブランド名で)、、またクローズしてますね。。。
07/08のコレクションが最後だったらしく?動画を見た→☆ のですが、、、曲線がきれいほ西洋だ~~
・・・ずいぶん洗練された印象です。。。


かえるぽっち。。。
このっイケメン野郎っっドキドキキャハハ恋の矢
どうもありがとうございました☆☆☆