上品美人コンサルタント 平田美香プロフィール | 上品美人メイクアドバイザー*平田美香

上品美人メイクアドバイザー*平田美香

メイクで育てる自己愛と自信で自分が主役の人生をー透明感・多幸感・自然体の魅力が溢れるエイジレスな美しさを叶えるメイク

上品美人コンサルタント

平田 美香(ひらた みか)です。

 

ご訪問ありがとうございます。

今日は私のプロフィールをご紹介させていただきます。長くなりますが、お読みいただけると嬉しいです。

 

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プロフィール

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初めまして。HAPPY AURA(ハッピーオーラ)代表 平⽥美⾹です。 

 

外⾒のイメージづくりを軸に、⼥性が⾃分らしく美しく輝き、望む⼈⽣を掴むお⼿伝いをしています。

 

 □⾃宅サロンにて、顔タイプ診断、⾻格診断、パーソナルカラー診断を⽤いたファッションアドバイスと、魅⼒を最⼤限に引き出す上品美⼈メイクの提案 

 

□都内セミナールーム及びオンライン、⼤学でのメイク講座やメイクスクール開催

 

 

 などを通して、⼥性が⾃分本来の魅⼒をナチュラルに、最⼤限に輝かせる⽅法をお伝えしています。

 

 

今でこそ、メイク、ファッションに関わるいわゆる『華やかな』仕事をしていますが、幼少期の私は、今からは想像がつかないぐらい内気で、地味で、⾃信がない⼦供でした。 

 

背が低く顔が地味、おまけに引っ込み思案で⼤⼈しかった私。滝川クリステルのようなハーフ美⼈顔の⺟と、お笑い芸⼈のような⽗の間に⽣まれました。 

 

⺟ではなく⽗にそっくりと⾔われ続けてきたことが、外⾒コンプレックスに拍⾞をかけていました。 

 

もっと⽬が⼤きければ、⼆重だったら、顔が細かったら…無い物ねだりばかりして⼈を羨ましがってばかりいました。 

 

明るく社交的な3歳下の弟と⽐べ、内弁慶。⾃分の気持ちを⼝に出せず、損していたことも多々ありました。

 

 

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クラスの⼈気者の男の⼦に『いたの?存在感ない』と⾔われ… 

 

気の強い⼥の⼦に『声が⼩さくて聞こえない!』と⾔われるほどの、⽬⽴たないおとなしい⼦。 勉強は⼈並み以上にできたのですが、とにかくスポーツが苦⼿でした。

 

⾛ればいつもビリ。投げても⾶ばず、泳げば溺れるという…笑 

 

活発で運動神経のいい⼦が⼈気者の昭和の⼩学校時代、私はコンプレックスのかたまりのような⼦でした。

 

時代が昭和から平成に変わる少し前、⾼校に⼊学。新しい⽣活がスタートしました。

 

数少ない同じ中学出⾝の友⼈たちにテニス部に⼊らないかと誘われました。 

 

何しろ運動オンチを絵に描いたような私でしたから、迷いはありました。

ついていけないんじゃないか、下⼿すぎて恥をかくんじゃないか、

向いていないと⾺⿅にされるんじゃないか、 親に反対されるんじゃないか… 

 

でもそんな不安よりも、「やってみたい、新しい世界に⾜を踏み⼊れてみたい」そんな好奇⼼と期待の⽅が勝っていました。 新しい⾃分に⽣まれ変わるチャンスでした。

 

 

それまでずっと⾃分のことを 

 

・⼤⼈しくて恥ずかしがり屋

・勉強はそこそこできるけど運動は苦⼿

・外遊びが嫌いなインドア派 

 

そう決めつけていました。 

 

でも不思議と、「できるんじゃないか?」という根拠のない⾃信が湧いてきているのを感じました。

 

今までしたことのない選択に、両親はさぞ驚いたことと思います。初めは、やっぱり運動オンチな⾃分のままでした。

 

毎⽇のトレーニングだった、⼆駅先まで を往復するランニングではいつも途中で苦しくなり、歩いてしまいます。

 

結果毎回ビリ。筋トレでは逆⽴ちができず、ラケットを握ってもしばらくは空振りばかりでした。 やっぱり運動に関しては、かっこ悪い⾃分のままでした

 

それでも、笑ったり⾺⿅にしたりせず、励ましてくれる友⼈ができました。

できるようになりたい、かっこいい⾃分になりたいという気持ちが、私を諦めさせませんでした。

 

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ランニングも逆⽴ちも、ある⽇を境にできるようになりました。ボールがラケットに当たるようになりました。

 

誰かにとっては当たり前にできることができるようになった時、私は⼩さな、でも確かな⾃信を⼿に⼊れました。

 

それまでの⾃分では考えられないほど、毎⽇はキラキラと明るいものになっていきました。

 

今までの経験からは考えられないような、初めての挑戦。⼈⽣の中のほんの⼩さな決断は、 ⾃分の選択に責任を持つことを教えてくれたのかもしれません。 

 

苦楽を共にした⾼校時代の友⼈たちとは、本当にたくさんのことを話しました。

お互いに、 ありのままの⾃分を受け⼊れていました。

 

⼝数はそれほど多くないけど、ふと放つ⼀⾔が鋭いとか、童顔でほんわかした雰囲気なのに、気に⼊らないことがあると分かりやすく不機嫌になるとか、

 

⻑所とも短所ともつかない私らしさ、

そのままの姿を認めてくれる友⼈たち。

 

⾃⼰嫌悪に陥ることもたくさんありましたが、

このままの私でいいんだ、と⾃由な⼼でいることができました。

 

⼗⼈⼗⾊の個性をもつ友⼈たちとの交流の中で、それまで⼈⾒知りで⼈が苦⼿だった私は、いつの⽇か⼈の⼼に興味を持つようになっていました。

 

その後、⼤学では⼼理学を専攻。⼈の⼼を動かす広告に関わる仕事がしたくて広告代理店に就職しました。

 

 

しかし「やりがいのある仕事がしたい」「広告について学びたい」という私のやる気と希望とは裏腹に、配属先は広告と関係のない⼈事課。

 

 

与えられた仕事はどこの会社でもほぼ変わりない地味な事務作業ばかりでした。

それなりに楽しい⽇々を過ごしながらも、

「こんなことをしたかったわけじゃないのに」という不満のようなものを、⼼のどこかにいつも抱いていました。

 

いつの⽇か、そんな単調な仕事の毎⽇にも慣れていきました。とはいえ知らずにストレスを溜めていたのか、帯状疱疹やアトピー性⽪膚炎など、体に不調があらわれるようになっていました。

 

⼊社から3年後、⼤学時代に出会った現在の夫と結婚することになりました。

 

夫の配属先は 福島県。

それまでは新幹線で⽉に1回⾏き来するのがやっとでした。

 

ようやくずっと⼀緒にいられる。結婚できる!

 

その嬉しさの⽅が、『私じゃなくてもできる 仕事』をたった3年でやめてしまうことへの抵抗よりもはるかに⼤きくなっていました。

 

いつの間にか『やりがいのある仕事をしたい』

という気持ちはどこかへ消えてしまっていました。

 

 

 

⽣まれてからそれまでずっと東京で暮らしてきた私。

 

結婚後の地⽅での暮らしはカルチャ ーショックを受けることでいっぱいでしたが、⾒知らぬ地での新⽣活は想像以上に新鮮でした。 

 

誰から何を⾔われることもない気ままな毎⽇。

時には旅⾏に出かけたりして、⼆⼈の時間を満喫しました。

 

その後3⼈の⼦供に恵まれました。

 

仕事が忙しい夫は不在がちで、帰宅はいつも深夜。いわゆるワンオペをこなさなくてはなりませんでした。

 

今では思い出すのも難しいぐらい、必死 な毎⽇が始まりました。私の気を引こうと難しい注⽂ばかりつける⻑⼥。⼣⾷を準備する横で泣き続ける⻑男。

 

⾸の座らない次⼥をラックのようなものに寝かせて、3⼈を同時にお⾵呂に⼊れる毎⽇には、リラックスするできる時間はほとんどありませんでした。

 

それまでの⾃由な時間は突然に奪われてしまいました。

 

でも、⼦供達の寝顔を⾒た時、

『ママ、あげる』と花を摘んできてくれた時、

『ご飯おいしい!』 と笑顔を⾒せてくれた時、

 

そして家族で過ごす賑やかな時間は、幸せを感じる瞬間でした。

 

 

夫は⼀緒にいられる時間が少ない分、彼なりに私のことを⼤切にしてくれていることも感じていました。

 

 

その⼀⽅で、⼤変そうにしながらも⼈から評価される仕事をし、⾃由に趣味のために出かけていったり、

 

気軽に友達と会ったりする彼をうらやましく、時に妬ましく思うようになりました。 

 

私には⼦育てと家事以外何もない。

 

慌ただしくも幸せな⽇々の中で、そんな⾵に思うようになっていました。

⼦供たちが成⻑し、3⼈の⼦育てにも慣れてきた頃。

 

ふと、「このまま⼦供たちが⼤きくな って⼿を離れていったら、いったい私の⼈⽣はどうなっていくのだろう。このままでいいのだろうか…という寂しさと不安が頭をよぎるようになっていました。 

 

⼦育てに翻弄される⽇々に、⾃分のことはつい後回し。たった3年の OL 経験以外に何のキャリアもなければ、資格も特技も、趣味さえもない、「普通すぎる⾃分」。

 

もし⼦供たちが東京の⼤学に進学したら、この地でただ⼦供たちの帰りを待つだけなのだろうか。このまま⼈⽣終わりたくない。そんなことを考えるようになりました。 

 

そんなある⽇、東⽇本⼤震災が起きたのです。 

 

 

 

電気もガスも⽔道も⽌まり、道路はひび割れ、

⾶び込んできた原発事故のニュース。

たった 数分間で⼀変した⽇常に、

ただ呆然とするしかありませんでした。

 

平凡すぎる⽇常でさえ、当たり前ではないことを痛感しました。ただ流されるだけでなく、1⽇1⽇を⼤切に⽣きなければ。そう思うようになりました。 

 

震災から約1ヶ⽉後、私たち家族は少しずつ⽇常を取り戻していました。

 

福島で出会った友⼈たちもまた⼤切でしたし、そこでの暮らしが嫌だったわけではありません。

 

でも、ずっとここで原発や放射能への不安を抱えたまま暮らすのだろうか?実家のある東京に帰りたい。そんな思いを抱くようになっていました。

 

そんなある⽇、夫の知り合いのつてで、東京の私の実家近くの物件を借りられるかも知れない、という話が舞い込んできました。 

 

『⼦供たちと4⼈で、先に東京に引っ越したほうがいいよ』 

 

私の気持ちを汲んでくれ、夫は⼀時的に家族別々に暮らす提案をしてくれました。実質的な ⺟⼦避難です。震災から1年後のことでした。

 

 

2週間で引っ越しや転校の⼿続きをすませ、

14年間の福島での⽣活に別れを告げました。

 

『寂しい…』 姉御肌でいつもクールなママ友が

泣いて別れを惜しんでくれたことは、今でも忘れられません。

 

平和だった⽇常も、危険な時も、不安な⽇々も、親⼦共々時間を共有してきました。

 

⻑⼥が⽣まれてからずっと、周りの⼈たちの温かさ、優しさにどれだけ助けられてきたかを改めて思い知りました。 

 

新しい⽣活にもすっかり慣れ、夫の東京転勤が決まり家族揃って暮らすことができるようになったのは、それからさらに1年半後のことでした。

 

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⼀番下の⼦が⼩学⽣になり、ようやく⼦育てがひと段落してきた頃。少しずつ増えてきた⾃分の時間を使って何をしたらいいのだろう?と思うようになっていました。

 

また私の⼼に、「普通すぎる⾃分への劣等感」と、「何もない⾃分への不安」が襲ってきまし た。するべきことも、したいことも、何も思いつかなかったのです。 

 

何も収⼊を⽣み出さずお⾦を使うことしかできない⾃分、時間を無駄遣いしている⾃分に、 罪悪感すら感じていました。かといって、ただお⾦のためにパートをしたいとも思えませんでした。 

 

何かを⾒つけたくて、書店をうろうろしたり、ネットで本を買うことが多くなりました。

 

ファッション、料理、お⽚付け…⾃分の⼈⽣を

もっとよくしてくれる何かを必死で探していたのかもしれません。

 

 

 

 

そんなある⽇、夫と⼀緒に書店に⾏くと、

1冊の本が⽬に⾶び込んできました。 

 

その本には、専業主婦がパート以外にも収⼊を得る⽅法がある、という内容が書かれていました。

 

そこから私は、主婦の個⼈起業に興味を持つようになったのです。

 

かと⾔って、なんのキャリアも資格も特技もない私。いきなり起業できるような種すら持っていません。唯⼀好きだったのがショッピングと、ファッション誌を読むこと。

 

「服を選んでいるときは⽬が輝いてるよね。」

「雑誌を熟読してるね。」 

夫からはそんなことをよく⾔われていました。

 

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素敵な服が⾒つかった時は、⼼からワクワクしました。新しい服に袖を通すと、新しい⾃分に会えたような気がしました。

 

ファッション誌で素敵な服を着たモデルさんたちを眺めながら、そこに描かれたライフスタイルに⾃分を重ねていました。

 

私もこんな⾵になりたい。変わりたい。もっとキラキラ輝きたい。そこには、地味で普通の主婦じゃない、憧れの⼥性像がありました。 

 

 

でも、もともときれいだからだよね。

スタイルがいいからだよね。

センスがよくなきゃだめだよね。

お⾦持ちじゃなきゃこんな⾵になれないよね。

 

こんな私には無理かな。

⾜が太くて短くて、顔が地味な私には無理。

⾃分の収⼊がない私に許されることじゃない。

 

遠い世界の話だ。 写真に映る、⼦育てしながらもきれいでおしゃれな⼥性。こんな⾵に、もっと輝きたい! ただそう思うだけの⾃分とのギャップに、モヤモヤすることもありました。

 

ちょうどその頃、パーソナルカラー診断、

⾻格診断の存在を知りました。

 

肌の⾊によって、似合う服の⾊が違う。 ⽣まれつきのスタイルによって、似合う服が違う。その理論を知った時は、ワクワクが⽌まりませんでした。

 

⾒ると素敵なのに着るとイマイチな服の理由はこれだったんだ! これできっと、もっと垢抜けた⼥性になれる!本を読んでは研究しました。

 

 

 

⼀度興味を持つと研究熱⼼な私。

本でカラーや⾻格のことを熟読し、

⾃⼰診断もしましたが、

「私はこれで本当にあっているのかなぁ。」

と今⼀つ⾃信が持てずにいました。 

 

⾃分にとっての正解を知りたい。そう思っていたある⽇、実際に診断してもらうことができる場所があるということを偶然知ったのです。 

 

急いでネットで検索し⾒つけたのが、のちに私が卒業するイメージコンサルタントスクールの校⻑のサロンでした。

 

 

診断してもらえるサロンへの申し込みと同時に、診断できる⼈を育てる、養成スクールの存在を知りました。

 

⼈を輝かせて、⾃分もきれいになれる。

「イメージコンサルタント」という職業に強く惹かれた私は、その後すぐに養成スクールの説明会にも申し込んでいました。

 

間も無く訪れたスクールの説明会でお会いしたその⼥性はとても眩しく輝いていて、こんなふうに働いている⼈がいるんだ!と衝撃を受けました。

 

「専業主婦からスタートした⼈もいます。」

そう聞いた時、私の⼼はすでに決まっていました。

 

「⼈を輝かせて、喜んでもらえる。⾃分もきっと輝ける。これだったら仕事にしたい!」 

初めて夢や⽬標と⾔えるものが⾒つかり、⾃分で決断した瞬間でした。

 

 

思えばそれまでは、何となく親や周りの⼈の意⾒に影響されて物事を決めてきた私。スクールに通いたいということを夫に伝えるのには勇気がいりました。

 

説明が下⼿で不安にさせたのか、

いったんは夫と険悪な雰囲気になりました。

 

それでも、「騙されてるんじゃなければ、やりたいならそれは俺がどうこう⾔うことじゃないよ。今すぐにでも始めたら?」と背中を押してくれました。

⻑⼥が⾼校⼊試を迎える直前のことでした。 

 

それまでずっと居⼼地のいい環境で⽣きてきました。 頑張っている姿を⾒せることがカッコ悪いとすら思っていました。 きっと、失敗して笑われるのが怖かったのだと思います。 

 

 

ファッションに興味はあったもののメイクに関してはほぼ無知。⾃⼰流で適当にしかしていなかった上に、⾃分の顔へのコンプレックスもありました。 

 

そんな私にとってすでに起業している⽅や、美しいキャリア⼥性が⽣徒に多かった銀座のスクールに通うのは緊張の連続。

 

気後れしてしまうことや、⾃信を無くすようなこともたくさんありました。 

 

最初に学んだメイクの基礎講義で⼀緒に受講されていた⽅は、 すでに独⽴しているパーソナルカラーリストさん。 

 

アートメイクのプロでエステティシャン。 

起業歴 10 年でモデルのような超美⼈。

 

百万単位の着物の販売に携わり、社内初、最年少で⼥性店⻑となったキャリア⼥性など、そうそうたる顔ぶれ。

 

メイクど素⼈のしがない主婦だった私にとって、スタート地点ですでに何歩遅れをとって いるのかという状態でした。

 

 部屋に⼀歩⾜を踏み⼊れた瞬間に、『場違いなところに来てしまった』と不安と恥ずかしさでいっぱいになりました。 

 

 

当然、実習では毎回落ちこぼれの劣等⽣気分。 

『美⾹さん、不安そうな顔をしないで。お客様に伝わるから。』

 そう⾔われることもよくありました。 

 

『これでいいのかな。合っているのかな。』 

 

そんな気持ちが、顔に思いきり表れていたのだと思います。でも、あきらめる気持ちになったことは⼀度もありませんでした。

 

毎回の実習でメイクモデルの⼥性が、私のメイクで変わったご⾃⾝の顔を⾒て、

⼼から喜んでくれているのが伝わってきました。 

 

メイクで美しくなることが、こんなにも⼥性の気持ちを明るくして、⾃信を持たせるんだ。 

 

そう実感すると同時に、多くの⼥性が、⾃分の顔にコンプレックスや嫌いなところを持っていること、もっと良くなりたいと願っていることを知りました。 

 

私だけじゃなかったんだ。こんなにキレイな⼈までもが。

 

スクールに通い同じくイメージコンサルタントを⽬指す⼥性たちの中にも、元々は⾃分の顔が好きじゃなかったり、コンプレックスを持っていた⼈が多いということを後から知りました。 

 

外⾒は⼼を変える。 コンプレックスは時に原動⼒になる。外⾒が変わると、⼈⽣も変わる! その思いは⽇に⽇に強くなって⾏きました。 

 

 

 

それと⽐例するかのように、メイクの腕を先⽣から褒められることも多くなって来ました。ただ、⾃分⾃⾝のメイクについてはまだ今⼀つ⾃信が持てていませんでした。 

 

⼈の⾒た⽬にあまり気づかない息⼦から、「なんでそんなに眉⽑濃いの」と⾔われたり「ママ、無駄に顔が⽩いよ」と娘から突っ込まれたり。

 

 知識や情報を多く持っていること、

 ⼈にメイクをしてあげられることと

⾃分⾃⾝のメイクをうまくできることは

また別問題のように感じました。 

 

今後の仕事の仕⽅の参考にしたい、と思ったこともあり⾃分⾃⾝も恩師のイメージコンサルティングを受けてみることにしました。そこで初めて、⾃分⾃⾝の魅⼒と出会うことができたのです。

 

初めて学んだ、私のためだけの、私の魅⼒を⽣かしたオーダーメイドのメイク。 

 

翌⽇から真似して⾏ったら、 「今⽇のメイク、すごくいいね!」同じスクール仲間から褒められるようになりました。 

 

 

もちろんしばらくは練習が必要でしたが、 その時を機に私のセルフイメージはガラッと変わりました。

 

「私はこんな⾵になれるんだ!」

 

 ⾏動や態度も少しずつ(いい⽅向に)変わっていったのだと思います。 

 

何より、堂々とできるようになり、⾏く先々で気後れせずに済むようになりました。 

 

2017年11⽉、無事スクールを卒業し、翌⽉すぐにサロンをオープンしました。 

 

 

 

「レッスンを受けて、⼈⽣が変わりました!」

 私が通っていたスクールの運営するサロンのホームページに書かれていた⾔葉。

 

 私もいつか、そんな⾵に⾔われるようになりたい。 そんな想いで、お客さま⼀⼈⼀⼈と丁寧に向き合って来ました。

 

 カウンセリングを⼤切にして、 お客様のお悩みやなりたいイメージを真剣に聞き、 気持ちに寄り添ってメイクをするということを続けていきました。 

 

 

するといつの間にかそのメイクのビフォーアフター写真を⾒てレッスンに来られる⽅が増えてきました。 

 

『どこが変わったのかわからないけどすごくキレイになっている』

 『良さが引き出されていて、⾃然でいい変化が素敵』 

『メイク後の⼥性がみんな幸せそうに輝いている』

 『私もあんなふうに変わりたい』 

 

そう希望を抱いてレッスンを受けにきてくださるお客様ばかりになってきました。 

 

苦⼿だったメイクが、いつの間にか私の得意なことになり、 

 

派⼿じゃないのに、華やかに⾒える 

どこが変わったかわからないぐらい⾃然で

上品に美しくなっている

そのメイクの仕上がりから 

 

「上品美⼈メイク」「美⾹マジック」 

などと呼ばれるようになっていました。 

 

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でも、まだ⼈⽣変えることはできていないかな… 起業してしばらく経っても、そこに拘っている⾃分がいました。 

 

レッスン当⽇は本当に喜んでくださって、 

特にメイクの変化では 

「わぁ、新しい⾃分に会えました!」

「これなら⾃信を持って街を歩けます!」

「本当に、来てよかったです!すごいです!」 

 

と満⾯の笑みでサロンを後にしてくださるお客さまたち。

 

 あれからどうしたかな、何かいい⼈⽣の変化があったかな… 

そう思いつつも、その後についてはわからない方も多くいらっしゃいました。 

 

 

 

同時に、

このメイク、⾃分でできるかわからない 

練習が必要ですよね 

ちゃんと⾃分でできるようになりたい、

 

というお客様からのご要望もあり、 

何回か通っていただく継続講座、レッスンを

不定期で開催するようになりました。 

 

すると、次のレッスンまでに起きた変化をご報告いただくことができ、どんどん素敵になっていかれる姿を⾒させていただくことができるようになりました。

 

 

そんなある⽇、継続でレッスンを受けてくださったお客様からメッセージが届きました。

 

「1年前にレッスンでお世話になった〇〇です。 あれから急に婚活がうまくいき出し、昨⽇⼊籍することができました!」 

 

というご報告でした。 

 

 

初めてレッスンに来られたときは、 婚活を本格的に頑張っているけれど⾃信が持てず、なかなかいい出会いがない、という状態でした。

 

レッスンを受けられてメイクを変え、 

新しいメイクで婚活⽤の写真を取り直したところ… 

 

「急に素敵な⽅との出会いが増えて。 平⽥さんに選んでいただいた服で⾏ったパーティーで今の主⼈と出会いました。」


 

やっぱり、外⾒を変えることで、

メイクやファッションを変えることで 

⼈⽣は変えられるんだ! ⿃肌が⽴ちました。 

 

その後メッセージにはこう続いていました。 

 

「平⽥さんのレッスンを受けてから、 

⾃分に⾃信が持てるようになってきたのか、 

明るくなったと⾔われるようになり、 

内⾯も前向きに変えていただいたように思います。」 

 

 

 

その⾔葉で改めて気づきました。 

 

外⾒が変わることで⼈⽣が変わる理由。 

 

それは、 ⾃信の伴う⾏動ができるようになるから。 

 

メッセージをくださったこの⽅は実は、レッスンを受けられるまでも⾏動はしていました。

 

「素敵な⼈と結婚する」という望む未来に向け、聞いた私が驚くほど毎週のように活動されていたんです。

 

 でもそこには、「⾃信」が伴っていなかった。

 

「⾃分に⾃信が持てないんです…」 

少し不安げな表情でそうおっしゃっていました。 

 

それが、レッスンに通われるにつれ、

表情も発する⾔葉も 少しずつ明るく、

⼒強くなっていきました。

 

 それまでの 「婚活にはこういう服を着るべき」「メイクはこうするもの」 という、⾃分の限定的な知識や世間の常識的なことに縛られて、⾃分の魅⼒に注⽬し、気づくことができていなかった状態から

 

 ⾃分の魅⼒に気づき、魅⼒を引き出し

ナチュラルに⾃分らしさを輝かせる

「上品美⼈メイク」に変えて⾃分⾃⾝に納得できるようになり、⾃信が持てるようになって⾏ったのです。

 

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⼈⽣を変えるために必要なこと。

それは、セルフイメージを変えることです。

 

⾃分⾃⾝をどう⾒ているかで、 ⾏動も態度も表情も、 出かける場所も発する⾔葉も

出会う⼈もかけられる⾔葉も変わっていくから。

 

 

だからこそ、メイクやファッションで セルフイメージをどんどん上げて⾏って欲しい。 

 

⾃分なら⼤丈夫! ⾃分が⼤好き! そう思えたら、⾏動はどんどん軽やかになっていくから。 

 

だからこその、⾃分らしさ、魅⼒をナチュラルに⽣かせる 「上品美⼈メイク」なのです。 

 

「すごい⾏動⼒ですね」 

私⾃⾝よくそう⾔われます。 

どんどん⾏動して、普通の専業主婦から 

やりたいことをして⽣きる 

幸せに働く⼈⽣を切り開いて来ました。 

 

⾃宅サロンでのレッスンからスタートして 

講座開催、オンラインレッスンのスタート、 

⼤学でのキャリア&メイクセミナー登壇など 




 

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次々とやりたいことを実現してきました。 

 

でも私の⾏動は、苦労や努⼒が滲むような⾏動ではないんです。 勇気を振り絞った⾏動でもない。 

 

えいっ!と軽やかに、やってみることができる。 ⼩さな⼀歩を、軽やかに踏み出すことができるのです。 もっともっと、⾃分の未来を広げていきたいから。 

 

こんな⾵に私を変えてくれたのはやっぱりメイクです。

 

 変わりたい、⼈⽣変えたい、もっと理想の⼈⽣を掴みたい! でも、どうやって変えて⾏ったらいい? もしそう思ったら、思い出して欲しいんです。 

 

⾃分では変えられることと、変えられないことがあることを。外⾒磨きは、⾃分⾃⾝を⼿っ取り早く変えることができる⼿段だということを。 

 

 

次のステージに⾏くために、理想の⼈⽣を掴むために。 ⾃分なら⼤丈夫。 ⾃分が⼤好き! これが私の魅⼒!

 

 そう胸を張って⾔える しなやかな軸を持った、⾃然体で輝く 「上品美⼈」にあなたもなりませんか? 

 

⾃分に⾃信を持てる⼥性 

セルフイメージが⾼い⼥性からは 

幸せオーラ(ハッピーオーラ)が溢れ出します。 

 

⾃分の魅⼒を知って磨いて美しく輝く。 

 

もっと⾃分を好きになることで⾃信を持って⼀歩踏み出し、理想の⼈⽣を⾃分の⼿で掴み取っていく。

 

そんな女性を増やすために活動しています!

 

 

 

 

イメージコンサルタント

顔タイプアドバイザー

⾻格アドバイザー

パーソナルカラーアナリスト

顔タイプメイクアドバイザー

メイク講師

上品美⼈メイク講座主催

⽴教⼤学キャリアセミナー登壇

 

 

上品美人コンサルタント 平田美香

 

 

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