お金のブロックを作って人生スタートの巻① | 好きなことがどんどんできる魅力のソウル生活

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アンニョンハセヨ
ソウルのピンみかです💫✨

福島のドドド田舎の農家の末っ子として生まれた私。


専業農家だったので
両親は常に田畑を耕し、冬には父が
出稼ぎに千葉県に行っていました。


我が家は常に貧しかった!!

食卓はいつも野菜のおかずが並び
タンパク質は魚肉ソーセージ。
幼い私がお肉を食べられるのは家族の誕生日くらいだった気がします。

家がかなり古いので
家を何とか新築したいと
1に節約‼️  2に節約‼️  
少ない収入を貯金し続けた両親。

念願が叶って
小学4年生の時に家を建てましたが
とにかく常に倹約生活は続きました。

そんな家庭で幼少期を過ごすと
無意識のうちにお金を使うことに
対する大きな大きなブロックは自然に作られます。

子供ながらに両親を支えようと
小学3年生からマッチ売りならぬ
新聞配達を始めた私。

こんなイメージです

雨が降っても雪が降っても
どんなに寒い朝でも
毎日毎日新聞持って近所を回り
配ってました。
それも何だか嬉しくて鼻歌歌ったり
しながら🎶

何故、私はこんなに明るく新聞配ってたんだろう???

大人になって客観的に振り返った時、不思議でもありましたが
それは間違いなく

母親を喜ばせたい!!
母親を支えたい‼️

という、ただただ健気な幼い子供の強い欲求でした。

そんな私は、貯めたお金を使うこともせず、新築の家の足しにと食卓は私のお小遣いで買ったりしてました。

大好きな母親が
「ミカはえらいね〜」って褒めてくれるのが、ただただ嬉しかったのです。
母からの愛を受けたくて
母が喜ぶことを第一優先として選択する健気な私が形成されていきました。


そして

お金は
できるだけ使わない‼️
タダではもらわない‼️

という大きな大きなブロックを育ててしまったのです。

ドドド田舎なのにうちには
車もありませんでした。

だから、バス停まで1キロもある我が家の交通手段は歩くか自転車。
それでも小中学校は1.5キロ程度だったので歩いて通えましたが
高校は福島の中心都市郡山市に通ったので
朝6時起きして
自転車10分→バス30分→汽車45分→徒歩30分という
毎日往復4時間の通学でした🚴

今考えてみれば
なんと大変な環境でおしんのように
忍耐して生きていたのかと思いますが、当時はこれが当たり前と
素直に思い込み、友達よりもかなり
少ないお小遣いに不満もなく、健気に過ごしていた私でした。


②へつづく