偉人の子供時代の習慣を深掘りする–その49「子育ての家訓があった方がいいのか?」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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6月4日の一読は本書の最後までです。ここでは「子育ての「家訓」をつくろう――武田信玄、徳川家康、志賀直哉」がありました。


著者の習慣に対する考え方には基本的に賛同していますが、それをどう表現するかには違和感が残りました。そのいい例が「子育ての家訓づくり」を推奨していることです。


親たちが子に対して願ったことが結晶化されたものが家訓であるとして、その願いが親たちの日常行動に照らされているものである限り、その子に対して有効な価値があることは言えると思いますが、時代を経て、昔の家訓になればなるほど、話が変わってくると思います。


少なくとも、親から子へ、そのまた子へと常に行動水準がアップデートされ続けた家訓であれば、有益かもしれませんが、正直、ずっと同じ文言が残り続けていることには疑問を持ってしまいます。