寺院
妙泉寺
開山・頼堅法印 山号・青龍山 宗派・高野山真言宗
本尊・地蔵菩薩 寺宝・大般若六00巻・木造弘法座像三体(鎌倉南北朝の作)
旧寺領・三六石三斗四計三合三勺二方六礼。
沿革
慶長8年8月21日・頼堅法印本寺を創建する。
明歴3年・五島民部盛清は当山を信仰して祈願寺となす。
安永9年・京都御室仁和寺の直系に属す。
寛政4年・火災のあい、本堂日記灰燼に帰す。
明治8年・狩立の集月寺を当寺に合併する。
明治23年・本堂改築、現在の本堂は昭和2年再び改築したものである。
明治39年102月4日・女島遭難者靈屋を設けて遭難者740余名の霊を祀る。
昭和25年・古儀御室流より高野山真言宗へ転派、大師堂及び毘沙門天は大正6年3月
22日代覚応の代に改築したものである。毘沙門天は、五島民部盛清公が
大和信貴山より富江神社の御神体として勧請して安置してあったが、
明治維新の際、当山に移したもので県下でもまれな青銅の霊体である。
境内の設備
①大数珠・向拝に天和三年平田徳左衛門寄進の鰐口あり寺宝として堂内に保存、
代わりに大数珠を下げる。
②女島近海遭難者碑・当時の住職稲生覚応師遭難現場に赴き供養を勤め妙泉寺境内に
慰霊の碑を建てる。昭和52年作家が作家が訪れ女島遭難を取材し
「珊瑚」という小説を執筆された。
③その他の記念碑
大正6年・毘沙門天鳥居建立寄付者富江村、日向、土佐(鰹船、船名船主名記入)、
浦塩港在住者世話人等。
③像物など
明治33年・四国八十八ヶ所を模して八八体の石仏を建てる。
昭和8年・弘法大使入定1,100年御遠忌記念事業として修業大師銅像建立。
山号
「青龍山」青龍とは古来瑞兆とされる。還、龍は雲を呼び雨をもたらすといわれ青龍山にて雨乞いの祈祷を行っていた。山頂には青龍山と刻んだ石碑があり小さな祠が祭られている。因みに空海は長安の青龍寺という寺において修行した。
本尊
釈迦如来が入滅して五千億七千万年の後、弥勒菩薩がこの世に現われるといわれるが、その間衆生を救うのが地蔵菩薩の役目とされる。妙泉寺には二躯の地蔵菩薩が祀られているが、一躯は嘉慶二年(1388)の作と記してある。
節分に、近くの高野山真言宗お寺さんに招待されて
byー昭和のおじさん