父が亡くなりました。


60代後半。突然の入院から、あれよあれよと状態が悪化して。。


若いよ、まだまだ一緒にいたかった。


7月に入ってすぐ脳梗塞で救急車で運ばれ、そのまま入院。


このときは意識があり半身の麻痺や喋りにくさはあったけど、仕事を代わりにしてくれる方への連絡や、


そのための資料をバイク便で送る段取りを母に依頼したりとしっかりしていて、


命が助かって何より、リハビリはきっと大変だけど、また元気になってくれるとしか思っていませんでした。


ところが今度は脳出血を起こして。。


CTを撮ってもらったけれど、脳出血を起こした血管の特定には至りませんでした。


でも脳梗塞を起こした血管はもろくなっているので、そこから出血した可能性が高いとのことでした。


脳幹部にかなり大きな出血があり、もう意識が戻ることはなく、治療方法もなく、このまま看取りになると。


このとき、この先二度と父と喋れない、名前を呼んでもらえない、そんな絶望がありました。


自発呼吸がなく人工呼吸器による管理が必要だったのと、脳幹出血からは今日明日に亡くなる可能性が高いと言われ、


家に帰るという選択肢はありませんでした。


ですが予想に反して、父の容態は悪いながらもしばらく安定していたので、少しずつ心の準備をすることができたのかなと思います。


亡くなる数日前からは面会の人数も時間も制限をなくしてくださり、離れて暮らす家族が久しぶりに全員揃うことも叶いました。


父の病院から1時間以上離れて暮らす私は、臨終のときには間に合わなかったのですが、


亡くなった父と対面して、父は意識がなくなってから、喋ることも目を開けてくれることもなかったけれど、


心臓が動いていて、あたたかかったということ、それだけで家族は救われていたんだなと思いました。


通夜、告別式を終えて、我が城に帰ってきた父。


こんなことになるなんて、もちろん家族も思っていなかったけど、何より父が1番思っていなかったはずで、


今もそこに父がいるような空間はなんとも言えず悲しく悔しく、なんでこうなったんだろうと。。


事故や事件と違うので、何か1秒でもズレていたら、とか、憎むべき犯人がいるわけではなく、そういう悔しさはないのですが。


それに父はお酒とタバコを愛した人生だったので、脳梗塞のリスクは高かったと思います。


それはわかるんですが、やるせないのが家族としての心情で。


なぜ父が、と思ってしまうのです。


今は過去のどの自分もうらやましい。父と一緒に生きていられたから。


父がもっとあと何十年長生きしてくれていたら、もしかしたら私が父に頼られることもあったかもしれませんが、


結局さいごまで頼もしい父で自慢の父で最高のお父さんでした。


今年は育休中で時間にも心にも余裕があったので、帰省してくる妹と姪っ子、そして両親と、いつもの夏よりたくさん遊びに行きたいな〜って思っていたんです。


去年も楽しかったので、今年はもっと最高の夏になるぞー!って。


それが。悲しい悲しい夏になりました。


育休中であったことは、仕事を気にせず父のために動けたのでよかったのですが、


こんなはずじゃなかったんだよなぁ。


まだまだやりたいこと、たくさんあったと思います。


仲の良い両親だったので、母ともまだまだ色んなところに行ったり、共に過ごす時間も当たり前にあると思っていたはずです。


というかそんな未来もあったよね?父が脳梗塞を起こさない世界線があるならそこへ行きたい。


私の寿命を分けるから、どうか父を元気にしてくださいとお願いしたのに。


おじいちゃんにもおばあちゃんにも全ご先祖様にもお願いしたのに、誰もお父さんを助けてくれんかったやん。


納得いかん。


でもひとつ、何度でも思うことは、父の子として生まれてよかった。この家族の一員になれて幸せだったということです。


就職してからは離れて住んでいたけれど、最近も1ヶ月に1〜2回くらいは会えていました。


最後になった6月の誕生日、お菓子をあげたら喜んでくれたな。


それでもやっぱり何も満たされることはなくて、この気持ちはいつか落ち着くのか、


父のことを涙なしに語れる日はくるのか、38年も一緒にいられたのに、


まだまだまだまだ名前を呼んでほしかったです。喋りたかったです。お出かけもしたかったな。


お父さん本当に本当にありがとうね。


もし何度生まれ変わっても、またお父さんの子どもにしてほしい。


そしてまたこの4人で、何回でも家族やろうや。


これは気持ちの整理のために書きました。最後まで読んでくださった方がいたらありがとうございます。