こんにちは
少し前に、ある人から
「どうして覚醒したいんですか
」
「どうしてまだそれ以上先に行きたいんですか
」
と尋ねられました。
私の理由は
「好奇心
をそそられるから」
という、それだけ
ただ、最初はこうではありませんでしたよ
ガチガチに縛られた
生き方しか知らなかった頃。
たくさんの葛藤
で、心が生き辛さと不安を抱えていた頃。
あちらこちらに身体の不調
を感じていた頃。
この頃の私を動かしていたのは
「楽になりたい
」
という切実な思いでしたので。
心と身体
と人生を好転
させるには、何とかして自分が変わらなくてはならないと分かっていたため、必死でしたっけ。
その時は、霊的覚醒なんて考えもしませんでしたよ
私は、内的成長
って登山に似ていると思うのです。
最初は見通しが悪い中、曲がりくねった急勾配の山道を必死で
登っていかなくてはなりません。
途中で倒木が道を塞いでいたり、地面がぬかるんで滑ってしまったり、ルートを外れて迷ってしまったり。
それでも、必死に目の前にある課題をこなして前進
を続けていると、ある時点で景色が変わるのです
それは、山の尾根に辿り着いて視界
が開けた時のよう。
空や雲海、他の山々の頂
といった光景が広がり、その雄大さや美しさ
を堪能できるようになります。
私はそんな景色を眺めながら、さらに進んで
きたという自覚があります。
そうなると、人生に苦しいことや辛いこと
はほとんどありません
自分の好きなことを好きなようにやるという自由
を満喫し。
物質的・精神的な豊かさ
を実感し。
パートナーシップを含めた人間関係にも恵まれ
て。
そして身体は健康
で。
実のところ、ここで終わり
にしようと思えばできるのですよ。
現に、人生が多少なりとも楽になったところで
「もういいや
」
と、登ることを止めた人達を見てきましたのでね。
それはその人達の選択で、良いも悪いもありません。
これまで苦しい
思いをした分、到達した心地良い場所から動きたくない、という欲求が出るのも分かります
ですが、私は。
自分の足元から、さらに高い
峰に向けて道が続いていることに気づいて
いるので、
「あそこに行けば、今度はどんな素敵な
景色が見られるのだろう
」
と思わずにはいられないのですよ。
ここまで10年以上登山を続けてきて、次に見えて
きた高い頂が霊的覚醒でした。
そこからの新たな景色が見てみたい。
その好奇心が、私を動かしているのです。
覚醒に到達した後は
さらにその先を目指して進む
と思います
霊的成長には終わりがないので
とっても幸せ
なことですね。
それではまた

ELG21によるPixabayからの画像