先日
母の叔父のお葬式に参列してきました。

89歳。大往生。
家で静かに息を引き取ったそうです。

とにかくひょうきんで、いつも笑ってて
母も私も大好きだったおじちゃん。

私に何も言わずに私が出演していた「阿国」という舞台を新橋演舞場まで見にきてくれて

自分でチケットを取ったものだから
2階の後ろの方だったらしくて

一幕終わって近くの方に

「大和田美帆、どれですかね?」って聞いたって

その聞かれたお客様がブログで教えて下ったこともありました。


お葬式には父と参列したのですが

後で話してみたら

二人とも同じ思いでした。 


あれもこれも、私たちはやってあげられなかった。


それが辛いね。と。



でも、

こうも話しました。


お葬式をやったらやったで辛かっただろうね。と。


若々しくて元気だった母の

死顔を見ることや、

顔の周りにお花が置かれる様子や

まして出棺されるなんて

耐えられなかったのではないかと思います。


(もちろん多くの方がそのような場面を乗り越えて
いらっしゃることは重々承知しております。)



母は、
家族や友人に心配されるのが苦手な人でした。

強がりで全部一人で抱える人。
それを苦とも思わない人。

母は、両親の死の時でさえ
家族に涙を見せない、強すぎる人でした。



だから、

家族や友人の誰にも

入院中の姿を見せず

看取らせず

どこかで

そっと荼毘に付され

どこかの誰かによって

骨を拾っていただき(ありがとうございました)


本当は亡くなってないんじゃないか?って
みんなに思わせるような
 
特殊な去り方をした。



その全てを

かわいそうと言っていただくことが多いけれど

実はそうじゃなくて

もしかしたら

とっっても母らしかったのではないか。


珍しい別れ際だもの。
それでいて
みんなの心に深く刻まれる別れ方だもの。

病院の先生と看護師さんしか
弱った母は見ていない。(母を診てくださった先生と看護師の方々、お会いできてませんが心からの感謝を)

それ以外の全員の中で美しく明るく元気な母のままなんだもの。 

もちろんもっと長く生きて欲しかったけれども

最期の最期まで母らしかったんだ。

決して、可哀想なんかじゃなかった。


今はそう思うことにしています。


父が良いこと言ってました。


生は自分が感じることだけれども
死は、残された者が感じること。


私たちがどう思うか。それが大切ですね。



葬儀場では

お子様、青年、ご老人、、、

様々な方々のお葬式が執り行われていました。

何も私だけが辛いわけじゃない。

大切な人の死は
先人たちも未来の人たちも
誰もが経験することなのですね。


生きることについて
また考えさせてもらう機会を頂きました。

そして、母が亡くなって初めて
母の親戚に会うことができました。

おじちゃんが会わせてくれたのね。
ありがとう。





死を想い、生を想う。

4月はきっと、そんな月になりそうです。