以前、私が
あるエクササイズの
ワークショップに行ったときの話。
どうしても
インストラクターの指示する
動きができませんでした。
それはエクササイズの
動きの基礎。
だから、
その動きができないことには
話にならない。
ワークショップというのは
内容にもよりますけど
たいていは
大勢の参加者の中、
個人的に
「ここはこうで、ああで、
こうするのですよ」
といった指導をされることは
そうありません。
仮に懇切丁寧に
指導してもらったところで
必ずしも短時間で
できるわけでもない。
そんなことは
わかっていることなんですが。
当時の実際の状況、
ビックリするほど
動きに対しての
何のヒントもない、というか
あったのかもしれないけれども
私の理解は及ばず
適当にやり過ごすだけの
時は進んでいきました。
「こんな感じですよ~」
・・・どんな感じやねん。
それがわからんのにね。
ただただ
モヤモヤだけが蓄積され
終了後に
「私は一体何を得たのか??」
ワークショップって
「学び」の場なのに。
後にも先にも
これほどまでに
いろんな疑問を抱えて
帰って来たものはありません。
状況は違いますけど、
例えばレッスンで
同じ動きをしていて
少々大変そうな人がいた場合。
「この人は、
あの部分が動かないのだな」
「この人は、
●●だからそうなるのだな」
参加者の様子を見て
動きやすくなるためには
どうすればいいか、
端的に伝わるように
私はあらゆる手を尽くします。
ただ、
それを聞いて
誰しもすぐできるように
なるわけではないし、
もっと言えば
アドバイスに全く気付いていない、
聞いてすらいない、
ということはよくある話。
悲しいけれど
まぁ、これが普通。
だから
私のたった一言で
「できなかったことが
できるようになった!」とは
早々ならない。
ときに
自分の無力さを感じますけど、
現実はそんなものです。
それでも私は
レッスン中に行う
いろんな声がけが
誰かの何かの
気付きのきっかけに
なることを願って
伝わるように伝えられるよう
日々言い続ける。
なぜなら
それがレッスンを行う
インストラクターの
役割のひとつだから。
中には
私のかけた一言で
「目から鱗でした!」
そう
とてもスッキリした表情で
言ってくださる人もいます。
「あー、人の役に立ててよかったな」
喜びを噛みしめる
わずかな瞬間です。
もう、時効ですけど
あのモヤモヤ感が残った
ワークショップ。
今思い返せば、
なぜ、私が
その動作ができないのか
インストラクターの方は
わからなかったのだろうな、と
勝手に思っていますけど
確信に近い。
だから、
その後に出会った
私ができない動きに対する
問題を全て
「骨」の話にまで及んで
解決してくださった先生への
尊敬の念は尽きません。
同じ動作でも
見ただけ、感覚だけで
いとも簡単にできてしまう人と
そうでない人。
全てとは言いませんけど
できる人には
できない人の苦しみ、
なぜできないのかを
理解できない部分が
多少なりともあると思います。
一方で、
何でも器用にできる
人間であっても
いろいろなパターンの
問題解決を
誰にでもわかるように
伝えられる人もいる。
同じ内容でも
「誰」から学ぶのか。
これから何かを
学ぼうと考えている方は
一番にこの部分を
重要視した方がいいと
私は切に思いますね。
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