今朝、何気なくNHKの子ども向け英語番組を流し見していたら、

 

途中の場面で、

桜の木を見上げながら、兄妹が話していました。

 

妹がお兄さんに、

 

「人は桜のことを、花が咲いた時しか見ない。

 桜は夏も秋も冬もここに居て生きているのに・・」

 

と言いました。

 

 

キッチンでここまでを声だけで聞いた瞬間、
正直に言うと、

私の中には少し重めのテーマが浮かんだんです。

 

 

世の中に対する愚痴だとか、さみしさだとか。

 

 

・・そうしたら、

 

妹が続けたせりふは、私の想像とはちがいました。

  ※スミマセン、リンク先は削除されています・・

 

 

 

 

人は見たいものしか見なくて、

知らないところで知らないことが、実はたくさんあるんだと、

昨日娘と話していて身につまされたところでした。

 

 

 

というのも、昨日は、

娘の何年も誰にも言えずにいた辛い体験を話してくれたんです。

 

 

そして、二人で一緒に

悲しみ、悔しがり、(せめてもの)気持ちの収め方を話していました。

 

なぜそういう対応をしたのかというと、
実は似たようなことを、私も娘の年代に体験したから。
 

あの時の私だったら、

大人の立場から言われるセラピー的な共感よりも、

 

同じレベルで同じ土俵に立って、

一緒に怒り、悔しがり、地団駄踏んで罵倒のひとつも一緒に言って欲しかったから。

 

 

だから、あの時に立ち戻って、
その手順を二人で初めから追体験しました。

 

 

おかしですよね。

昔セッションしてた私ですからスマートな解決方法がありそうなのに。

 

でもね、ママの直感で

今はそんな原始的な感情表現がとても大切って、そう感じたんですよね。

 

 

 

同時に、

 

あの時は若くて見識も経験も狭かった私には知りえなかった対処方法を、

大人になった今なら、

いくつも!さっと思い浮かべられるんですね。

 

 

だからこそ今は私は冷静にその頃の自分を振り返れますが、

娘はまだまだそんなおばちゃん領域にはいないですから。。

 

 

一通り感情を爆発させたら、

ママの目から見た「娘にとって」ベストな対応の仕方など話していました。

 

 

どんなことも繫がっていて、

さらにどんなことも表裏一体。

 

全てを包括してなお咲かせる花でありたいな・・と、

 

深く深く根を張って生きるから広げた枝の先まで咲き誇る、

今朝の桜のエピソードで再認識しました。

 

 

時々ポチっていただけると
毎日書く励みになります☆(⌒⌒)

にほんブログ村 美術ブログ パステル画へ
にほんブログ村