“作り込まないと 居られない”
それではいけないと思うのです
『 居られない 』
というのは
◆立っていられない
◆存在できない ということ。
というのも
20代
宝塚にいた頃の私はそうでした。
作り込まないと 居られなかった。
アイライン
もう少し薄くした方がいいんじゃない?
いや〜
そんなに キツくしなくても……
もっと柔らかい雰囲気したら〜?
色々たくさん言って頂いたものです……苦笑
小池修一郎先生のオーディションでは
その キツク縛ったヘアゴム
外してみてくれないかな
君が 見えない
なんて言われて
虚勢命 で 生きていた私は
えー
ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
ゴムは取らせないでくれ (T ^ T)
タヌキ全開になる〜 (T ^ T)
と、死にそうになったものです
(笑)
そんな 虚勢の塊 でしたから
日々の作り込みは 半端なく
なにより
見た目だけではなく
心まで 強く作り込んで
グッタリと 疲れていました
作り込むことを
自由に操れなかった のだと思います
振り返れば
作りこみたい方向性は
決して間違ってはいなかった
よく自分を見抜いていたね〜 と
褒めてやりたい(笑)
しかし、
作り込むことを 操れず
テクニックとして
心と離すことは
まだまだ難しかった。
作り込むことは
冷たく言うなら
テクニックに過ぎない。
だからこそ
作りこむことは
自由自在に操れるようになれなくてはいけない
と思うのです
楽しく作り込むことは
大賛成。
しかし
心までも作り込み
作り込むことに依存してしまうと
なにかが変わってきてしまう。
心は 自由でありたい。
数年前
『 ありのままで 』
が流行しましたが
ありのままが 美しい
ありのままが 素晴らしい
この ありのまま とは
心のこと
思想や
思考
人間としての在り方
見た目は
ありのままでは厳しいのが
現実です