元日から始まった、力の主軸の移行。
人間の手からそれらは全て取り上げられ、
本来の天地の元に、各エレメントの元に返され、
天地が全駆動するための根底、ベースが、この3月で完成しました。
この3ヶ月間、取り上げられる力にしがみつくことなく、
天地とひたすら合わせることに注力していた人間は、
同じように自分の中での主軸が切り替わり、
新しい力のベースが構築されたこととなります。
そして4月。
ここからの始まりが、全ての歯車が稼働した上での、
本当の始まりとなります。
全ての流れが全稼働した「始まり」は、圧倒的な力を持っています。
それは濁流でもなく、荒波でもなく、
ひとつの大きなうねりの中にあるような、
海全体の息遣いのままにひねり倒されるような、
そんな強さを持っています。
人間が知っている、自分たちが起点となったもの、
願い事をしたり、意図を投げたり、
叶えようとするためのマウントと力の引っ張り合いなど、
そういった小細工だらけの自己主導の始まりとは、
あり方自体からして全くもって違うものとしてあり、
その圧倒的な質量の「始まり」に、気圧されることでしょう。
4月。
わたしたちは始まりました。
準備をしていてもしていなくても、
海原の大きなうねりはなにもかまわず全てを飲み込み、
ねじりひねり倒し大海を渡ります。
私たちはより一層、ただ巻き込まれるままであります。
そして、そのうねりひねられきりもまれる中で、
人間はひとつの歌を聴きます。
それは、そのものを呼ぶ声として歌います。
始まりにふさわしいものにその歌を捧げるものがあります。
大きなうねりの中で、それに応えることができるか。
それが準備できているものとできていないものとで、
差があらわれます。
今までの、人間の始まりの作為とは、始まり方が全く違います。
大きく呑み込まれた先に、その歌声を聴き分けることができるかどうか。
そして、応えることができるかどうかで、
その始まりとして動けるかどうかが決まります。
始めれないものは、大きなうねりの中でもみくちゃにされるがままにあります。
ただそれに巻き込まれているだけの日常となることでしょう。
始まれるものたちは、声を聴き、声に応えることで、
次のうねりに乗り込むことができます。
そこに自分の願いや意図は関係ありません。
その自欲は魂と共にすでに無になっているはずです。
準備ができているものたちは、空っぽになっているものたちであり、
だからこそ、呼び声の反響が自分の内側で響き鳴り、
その声を聞き取ることができます。
圧倒的なはじまりの力に、私たちはおののくこととなりますが、
これが天地が行う、本来のはじまりのものであり、
それは湧き出た清水の流れから始まるものではなく、
大海のど真ん中にいきなり放り込まれたように始まるものとしてあります。
それは、循環として、太い流れが連続して繋がっているものであり、
途切れることなく続く循環の流れには、始まりがある意味ありません。
そこに参加するためには、途中からいきなりそこに落とされるだけであります。
この、天地の流れに私たちが落とされた時が、
私たちにとっては始まりということになるのであり、
今までの始まり方とは全く違うことを身をもって知らされることとなります。
準備は、何段階かに分けて行われます。
ひとつひとつ、その人の始まりの支度に何が必要か。
ワークとして見極めていきましょう。
4月、はじまりの支度。
・ワークの価値をご自身で決めてお申し込みください。
・聞き取り、ご相談から始めます。
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こちらはすでに準備がなされた方。
呼び声とあなたを結び、流れにダイブします。
4月、はじまりのダイブイン。
・3万円の価値となります。
mie.
アイテムなどはこちら。
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・あたらしい世界の始まり。
日本の波動落ちから、能力の喪失、
元の人間に戻るためのプロセス。
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