本来、冬の闇が来る前には、その準備期間が必ず派生します。
 
それは葉が枯れ落ち、地に朽ち行きゆく期間、
 
本来の秋の季節にあります。
 
 
 
木の葉が全てを落としきること、
 
そしてそれが地に沈むこと。
 
それは私たちの、この一年で蓄えたあらゆるものの
 
腐り落ちとなります。
 
 
不要なもの、いらないもの、次の年に持っていけないもの、
 
ネガティブな感情、隠された負、
 
腐っていくにふさわしい、人間が生み出したもの。
 
 
これを葉のように、終わったものとして、
 
地に落とすのです。
 
 
 
こうして終わったものを地に落としきり、
 
そして、冬の闇を迎えます。
 
闇はしんしんと、地から湧き上がり、
 
それは葉を落とした木々を飲み込みます。
 
そして、闇の水位が上がり切った時、それは水流を生み、
 
闇の川ができ、そして海にそそぎ、
 
海の底にある全ての生命が還る場所、闇の深淵に全てが流れ行きます。
 
 
 
 
葉を落としたものは、この闇の水流を静かに受け入れ、
 
腐葉土のたっぷりと含まれた薄茶色の養水にその体を預けます。
 
 
葉を落としきれなかったものは、流れに大きく負荷がかかり、
 
根は地から引き剥がされ、
 
闇に流され深淵へその体全部を生命に還されます。
 
 
 
 
。。。。
 
 
 
 
 
本来、葉が落ちる秋の季節は、
 
私たちが春夏と育んできたあらゆる意識が選別され、
 
そしてそれを落とす季節となります。
 
 
この段階で落とされた不要な意識は、
 
闇に溶けることで地の滋養に変化していくことができます。
 
それは私たちの成長に必要な滋養。
 
それがあったからこそ、次はこうしよう、ああしようと、
 
私たちのつぎなる季節を起こすことができます。
 
 
 
秋という季節は、全てを動かし拡大された意識を、
 
収め、たたみ、自己回帰する、
 
冬の闇のための大切な期間であり、
 
ここをどう過ごすかによって、迎える冬の闇の質が大きく変わります。
 
 
 
 
 
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ですが私たちは、地と共にいきることを止めていました。
 
高波動と光で我を高めることで、地と闇を回避していたために、
 
植物や世界の流れと同じように、動植物と同じようにあった、
 
私たちの本来の生命の流れも、止めていたのです。
 
 
 
高波動の時代では、秋の葉落ちも冬の闇も来ることはありません。
 
いつでも光が降り注ぎ、自己回帰もできない、
 
意識の拡大がひたすら一年中続くのです。
 
 
 
そして、いらないものを地に落とすことなく、
 
自分の意識が届かない肉体をゴミ箱として、
 
そこに何年も何年も、溜め続け、
 
腐ってドロドロになって異臭を放つ時まで、
 
ずっとずっと、抱え込んでいます。
 
 
 
動植物が当たり前にその生命と心を世界の動きに合わせているのに、
 
人間だけがそこから切り離され、
 
独自の自己回帰と腐臭の押し付け合いで生きてきました。
 
そこに季節や大きな流れはありません。
 
各自がそれぞれ、あの手この手で腐ったものを処理しているだけです。
 
各自の処理もバラバラで、人間の住む世界には、
 
あちこちにクソだまりができ、最下層にその処理を押し付けます。
 
 
 
 
私たちはひたすら光の季節だけを生きてきて、
 
闇の季節を拒んでいました。
 
そして季節の本当のその意味を、失っていました。
 
 
 
 
。。。
 
 
 
 
 
 
 
地と闇が本格的にその動きを取り戻した今、
 
人間も動植物と同じように、
 
この世界の大きな流れに沿った光と闇の季節をむかえることとなりました。
 
 
ですが今回、秋の葉落ちは飛ばされます。
 
いちはやく冬の闇が地上に上がり、
 
いちはやく闇の水流が流れ始めました。
 
 
これは、あまりにも人間が抱えている腐りがひどく、
 
葉自体が一年でそだったものではなく、
 
腐った葉が幹の中のうろにしっかりと溜まっているからであります。
 
 
私たちが自力で簡単に葉を落とせるのは、一年以内のものです。
 
すでに時が経過したものは、身についたままであります。
 
それをなんとか剥がしたとしても、それは地に還ることはありませんでした。
  
結局、地の代わりに誰かの肉体に押し付けたものであり、
 
人間の世界自体に、しっかりと腐った汚泥が溜まり切っているのです。
 
 
 
その人間の肉体が抱えている負に反応し、
 
冬の闇は急激にその水位を上げてきました。
 
これが毎年毎年の一年位内の葉の場合は闇は
 
そこまでいっきに上がることはありません。
 
 
 
 
これから毎年毎年、人間の世界に溜められた負が深淵に還りきるまで、
 
冬の闇は濃く深く、わたしたちを流そうとするでしょう。
 
 
 
 
 
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。。。
 
 
 
 
 
 
 
秋の葉落ちは冬の闇に対する準備段階にあります。
 
そうして準備したのち、冬の闇が来てその流れが出来始めると、
 
より不要なものが自分にあることに気づきます。
 
闇の流れにひっかかるそれに、細かく気づくのです。
 
そして、年末の新しい年を迎える前日に、そのおおざらいをします。
 
 
 
 
冬の闇の中で新しい年を迎え、そして春の芽吹きの予感を感じます。
 
意識の拡大の方向性が、垣間見えるのです。
 
その方向性が見えると、そこにいくための不要なものが見えます。
 
これが冬の闇の最後の段階です。
 
 
立春を迎える前に、最後のその不要なものを捨て、
 
冬の闇の過ごしの意味が終わります。
 
 
 
一年でたまったものは、秋冬の闇の季節で全て終わらせる。
 
これが本来の、人間の生命と精神のあり方であり、
 
一年をじっくりと使いきることで、正しく全てが成長できる、
 
やり方であります。
 
 
私たちは意識だけ拡大させ、一年中日の光を浴び、
 
落ちない葉を目一杯茂らせ広げ天を埋め尽くし、
 
根に栄養がいくことがありませんでした。
 
 
高みを目指せば目指すほど、幹は細く根が薄くなり、
 
自力で立てないほどの、木ともいえない
 
根が退化した寄生植物に成り下がります。
 
 
 
 
 
今、闇の水流が私たちの闇を巻き込み、大きな流れを作っています。
 
葉を落とす間もなく、
 
人間の肉にこびりついたものを、深淵に還す流れであります。
 
 
今はどの方向にも抵抗せず、
 
剥がされるものをそのままに、深く沈むことが促されていくことでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
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