現在渡独5か月目に入りました。
中国蘇州時代と比べ
食材調達・公共交通機関を使っての移動
大変です・・・💦
6月 子供たち日本人学校へ通学
(来てすぐに銀歯がとれた。市内バスで通学)
7月 インターのサマーキャンプへ
(Sバーン・中央駅乗り換え。狂いまくるダイヤに四苦八苦)
8月 夏休み
(毎日プール、船便到着、ケルン・ボンへプチ旅行)
9月 子供たち新学期
(フィンランド旅行🎅)
毎月友達が変わる環境に私はかなりプレッシャーを抱えましたが、
すっと順応する子供たち
きっとつらいこともあると思うのですが、
学校に行きたくないとは一度も言っていません。
むしろ、9月に休ませてしまったら🛫
「そろそろ学校に行きたい」と💦
ごっごめんね
家族が元気なことが幸いで
ハードと思われたこの4か月、
計画通り過ごしてくることができました。
私は、子供たちの送迎が必須なため
公共交通機関を利用しての生活だと時間が読めずにいます。
そのため、車を・・・と段取りしたものの
その車の故障などでまだまだ時間が読めません。
あるあるです・・・
荷物配達、車修理、事務処理…
とにかく窓口次第&時間にルーズ
時間が定まらず、
生活が整ったとは言い難い状況ですが
食材調達が安定してきたことは大きく
それでも「いつもの生活」という生活が送れるようになりました。
それと同時に
ドイツに来て5か月目にもなるのに
自分のことが一行に始められなかったことに爆発
もう待てない・・・
語学学校申込、私の活動も再開の節目を設けたところ
不思議ですね
「果報は寝て待て」という学びもあり
皆さまにご周知するまでの
基礎がかたまりHP工事着工となりました。
もちろんご依頼は💛
久しぶりにHPのプロフィールを見直しました。
子供っぽいというか辛辣です・・・(;^_^A
でも
どうしても綴らずにはいられなかったのです。
良いも悪いも
自分の選択の積み重ね。
もう見ることがなくなるかと思うと
それはそれで寂しいかな・・・
こちらに転記して残しておこうと思います📝
引き続き宜しくお願い申し上げます♥
あんうぇい助産院を営む、助産師の黄 幸世子です。
私が母乳育児支援に魅せられたのは、我が子の授乳期にありました。
長男は中国上海で生まれました。産後も帰国せず中国で生活していたため、ミルクは容易に手に入る状況ではなく、
誰に言われた訳でもなく「母親たるもの母乳をあげるべきだし、やればできる」と考えていました。
子どもが太っても痩せてもいけない。
子どもの成長について、なにか誰かに指摘された時、どう育ててきたか証拠がないと困ると考え、
私が飲食したものを記録、当然授乳・哺乳・排泄の記録もつけ、
母乳はあげればあげただけ分泌が増えると信じ母乳育児に臨みました。
分泌が落ちてチクチク痛む胸は、母乳が沸いているサインだと勘違いし搾乳し、
良いと知るもの全てを取り入れ「これだけやったから成功する」と思っていました。
しかし、乳頭は万年傷だらけで胸は痛いのが当たり前。
母乳が足りないため、納得できないけれどミルクを与えなければならず、
長男が太らないようにとミルクを薄めて飲ませているのに、体重はグラフの上限を推移。
思うような結果が出ないまま半年ほどが過ぎました。
その頃、私の住む街に日本から助産師さんが来られ、その方に乳房マッサージをして頂くと、久々にふんわり血の通った胸となり感銘を受けました。
しかし、マッサージして頂くだけで、それまでのトラブルは何が原因だったのか分からず、自分でケアすることができませんでした。
再び痛み出した乳房は血乳しか出なくなり、乳房痛がひどく眠れない日々が訪れ、断乳に至りました。
私的には完璧にやったはずなのに、なぜこうなってしまったのか納得がいきませんでした。
なぐさめられても癒されることはなく、とにかく悔しくて悲しくて、
この時私は「日本に帰ったら、なぜ必死で頑張ったのに母乳があげられなかったのか原因を突き止め、乳房ケアのできる人になる。同じ思いをしている方がいるならばその方のお役に立ちたい」と思いました。
その後1年ほどで長女の母乳育児を始めることとなりました。
また痛い思いをするのかと思うとすごく嫌でしたが、トラブルを起こすこともなく完全母乳で過ごすことができました。
日本に帰国し、助産師学校の入学が決まり授乳を終えました。
この時、長女は1歳になっていたため授乳に関してやりきった感がありました。
しかし、助産師学校入学した後、授乳しながら通学している同期がいることを知り、断乳せず授乳を続ければ良かったと思い、また母乳育児に後悔が残ることとなってしまいました。
助産師学校に入ることができ、夢に向かい前進できたことは嬉しいはずなのに、やはり(母乳)育児はうまくいっていない。
責任があるから子育てはするけれど、育児が全く楽しくない。
主人は、子ども達が小さいのに助産師学校に通い我が道を貫く私を良く思わず、劣悪な夫婦関係が続きました。
私は子育てへの不満、誰にも認めてもらえないこと・自分への葛藤などから、早く袂を分けて自立したいと思いながら助産師資格を取得、臨床勤務をすることとなりました。
臨床では、あれだけ頑張りたかった母乳育児支援がやっとできるステージにたてたにも関わらず、乳房の触り方がからず、
このままではいけないと改めて感じ、様々な乳房管理のセミナーに参加することとなりました。
その中で、堤先生にお会いすることができ「みなさんは疲れた時に甘いものを食べますよね?お母さんたちは疲れていますよ。」
「お母さんが笑顔でないと赤ちゃんは笑顔になれないと思います。」という言葉が、
母親としての私、乳房ケアのできる助産師を志した私の心に響き、今日の私に至ります。
もともとの私は、保健室の先生になりたいと思い医療の道に進みました。
その後、助産師学校を含め学校を4つ卒業し、資格試験も4つ受験しました。
その時のエピソードなどは、ブログの方に綴ってまいりたいと思っております。
現在、子どもが小学2年生・3年生。私自身、絶賛「育児&育自」中でもあります。
これまで1500人近くのお母さんの授乳に携わらせて頂きました。
お母さんの笑顔は、赤ちゃん・家族・みんなを笑顔にしてくれます。
人生で幾度とない授乳期がたくさんの笑顔で溢れますよう、サポートさせて頂きたいと思っております。