長男の学校も早いもので夏休みまであと3週間を切りました。ここへ来て、毎週遠足に出かけてます。
遠足・・と言っても校外学習のようなもので、一回2時間ぐらいで帰ってきます。
行き先は植物園だったり、自転車教室だったり、シアターでの観劇だったり・・・。
先生方の遠足コンセプトは「なかなか家庭では連れて行くチャンスが少ない所へ」というもの。
これはありがたいなぁ。
と思いつつ、中学一年生のときの遠足を思い出した。今日はそのお話。
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私が育ったところは、東京のベッドタウン。とは言っても、市民の半分は東京へ通勤、残りは農業や漁業なども盛んでした。海に隣接する市だったから、コンビナートもあったな。
住んでいたのは農業がまだまだ全盛の辺り。春の香り・・・と言えば畑の肥料(爆)
そんな地域にあった中学は、周りを団地に囲まれて、割と教育熱心な親が多かったせいか、子供たちも荒れることは全くなく、大人しくて純情。男の子と女の子が一緒に帰れば、次の日の話題になりましたっけ。
中学にいる先生たちは、あの時代「体罰」が容認されてた頃だから、男の先生は竹刀を持ち歩いている人も多かったです。それでも、中学生は扱いづらい・・・。授業は静かに聴かないとか、先生をからかってみるなんてこともありましたねー。
事あるごとに言われたのが、 「お前ら、全部内申書に響くんだからな!」
そう、私たちはベビーブーマーのピーク学年。成績がいくらよくても、日頃の行いが悪ければ、簡単に高校には落ちるんだぞ、と言い聞かされて育った世代です。
そんな中学に入った年。
世間で話題になってたのが 「つくば万博」(1985年)
科学とか未来とか、ちょっと子供心をくすぐるテーマの万博が開かれてました。
周りの小学校・中学校が軒並み、つくば万博に遠足に行ってたので、私も他のみんなも「うちも近々つくばだよ!」と、そりゃー楽しみにしていたものです。
隣の農家のおじさんが、「おれ、農協のツアーで行ったんだよー、つくば!」
つくばと言えば、万博だった年です。
そしてついに、学年集会が開かれました。
テーマ: 「中学一年生の遠足について」
一同ざわざわ・・・
!!! つくば万博~つくば万博~ と心の中で踊ったのは言うまでもありません。
「今年の一年生は・・・」
「50キロ、徒歩遠足に決まった!」
「え?・・・・・・・5、50キロ??」
「世間では、つくばだの、万博だの騒いでいるが、そもそも遠足と言うのは、自分の足を使っていくことを言うんだ!バスに乗って、ちんたらちんたら遊びに行くものじゃない!!」
自分の足を使って・・って、しかも50キロって。 しごきか?
「何だ!文句があるやつはここへ出て来い! けつっぺた叩いてやるぞ!」
こういう理にかなわない体罰が横行してた頃です。
「そんなにつくばに行きたいなら、親に頼んで連れて行ってもらえ!」
と言われて、連れて行ってもらえた子は私の周りではいなかったですー・・・。
親に連れて行ってもらえるのは混雑する夏休みか・・・週末。
そこへわざわざ高い金を払って連れて行く親は少なかったと見える。
うちも
「ねぇ、つくばに行ってみたい」
「う~ん、でもお金も掛かるしねぇ。混んでるからねぇ。」
遠足で行くのが良いところは、平日の人少ない時に、じっくりと見れる事・・・だと思うのだけど
なぜか、学校の先生はそうは思わず・・・
しかも何で、50キロを歩くんだよ・・・。
かくして、50キロ徒歩遠足は実行されました。
何がつまんねーかって、ただただ道路沿いの歩道をひたすら歩くだけ。
歩いて休憩して、 さらに歩いてお昼を食べて、歩いて帰って、途中で休憩して歩いて帰ってくる・・・を
普通の1日でやるんだから、そらー楽しくわいわい歩くわきゃないっつーの。
しかも。
「昼飯、ちんたらちんたら食べてたら、帰る頃には暗くなるから、とっとと食え!」
お昼時のわーわーきゃーきゃーもなし。
中1にして、世の中の理不尽さを分かった頃でもありました。
結局、中学の時の遠足・・・と言えば
50キロ徒歩遠足 つくば万博に行けなかったこと
もちろん、つくばから遠く離れた所に住んでる人たちには万博は遠いものだったかもしれない。でもせっかく隣県でやってるんだから、行けるなら行っておきたかったなぁ。
・・・という思い出があるので・・・・
何でも経験させてみましょう! 中々家庭では連れて行ってもらえない子もいるから という長男の先生方、学校の考え方、今とってもありがたく思えます。
さて。読んでくださる方の中には
「つくば! 行った行った!」と言う方もいらっしゃるのでしょうか。
愛知万博でも良いです。大阪万博、万博公園。万博・・・と言えばを語ってくださいましー