謀略朝鮮戦争、日本人は何をした | 気になるニュースチェックします。

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今、戦後の日本を見ています。

戦後の日本はアメリカ一辺倒になりました。

それには追放されるべき連中が、占領軍側につき命を救ってもらった恩があるからです。

特に大本営にいた天皇の参謀たちは、ほとんど占領軍側についてしまい追放されず

戦犯にもならず命を救ってもらい、生き永らえその後、日本の政界、財界などに

息を吹き返して今日に至りました。

 

アメリカには恩があるのです、アメリカには逆らえません。

その追放されるべきだった連中たちの、子孫やその取り巻きたちが今の

日本を牛耳っているわけだから、日本国民よりもアメリカが大事なわけです。

 

菅首相が就任して一か月が経ちました。

日米同盟を重視する安倍政権を背負った菅は、沖縄戦を経て戦後27年間に及ぶ

米国統治を強いられた沖縄、、、、、、

2015年の夏、菅官房長官と翁長知事が向き合ったとき、翁長知事が沖縄の苦難の

歴史に触れ普天間飛行場の移設に伴う、名護市辺野古の新基地建設の中止を

繰り返し求めたのに対し、菅の答えは戦後生まれだから、歴史を持ち出されても困る、、、

というものでした。

 

まるで菅の乾いた言葉に無力感をにじませたのは、翁長知事だけではない。

沖縄県民そして、日本国民の沖縄の苦難の歴史を知る多くの人たちだったでしょう。

菅はその後の記者会見で、戦後はみんな悲惨だった、沖縄だけではないと強調した。

沖縄は我慢しろ、、、、、日本国民も我慢しろ、、、、アメリカには逆らえないんだから、、、

と言っているように聞こえます。

 

日米行政協定、日米地位協定を改定しない限りこの悲惨さは永遠に続く。

それを改定できない政府が、ただ沖縄県民に何事も我慢しろと強いている。

アメリカ優遇の協定を戦後75年を経っても改定できない政府のだらしなさ、、、、

世界の笑いもの、、、、でこの先も日本政府をやっていくつもりなんでしょう。

日米同盟はますます強化したということなので、一心同体なんだねアメリカと。

植民地はますます過酷なものになっていくのでしょう、、、、、やれやれ

 

 

★★★謀略朝鮮戦争日本人は何をした

 

 ★天皇の参謀たちはGHQの傭員となった

 

 アメリカは日本を占領すると、アカの摘発に乗り出しアカを一掃する政策をとる。

 日本を共産国にしてはならない、、、、、

 日本国民に共産主義、社会主義を植え付けてはならない、、、、

 そのために考えだしたのが、アカの恐怖作戦

 アカは怖い、アカは恐怖だという思いを日本国民に植え付ける。

 

 

 ラストゥ゛ォロフ事件、三橋事件、鹿地旦事件、など北海道に起こった事件などは

 共産勢力が日本国内でいかにスパイ活動をしているかという警戒心を与え

 下山、松川、三鷹事件はいかに共産思想にかぶれた尖鋭分子が、テロを行うかという

 恐怖心を植え付け、国鉄から共産分子を一掃するのに役立った。

 

 朝鮮戦争勃発前は、日本共産党中央委員の追放、赤旗の停刊などの措置が相次ぎ

 戦争が起こると反軍思想を一掃するため、日本にレッドパージの

 旋風を巻き起こした。

 

 これと並んで国家警察予備隊の創設となる。

 戦争の起こった翌月には、マッカーサーは吉田茂首相に書簡を与えて

 新たに75000人の警察予備隊と、海上保安隊に新たに8000人の増員を

 行うよう要求した。

 これは現在の自衛意の誕生です。

 

 

 アカがほとんど影をひそめた1950年ころになって、朝鮮戦争が勃発する。

 このころにはアカの存在はほとんど、影をひそめてしまっていた。

 朝鮮戦争が勃発するには、ちょうどいい時期だった。

 

 ただ、政界、財界からの追放は天皇の参謀たちで、追放されるべき連中たちの

 多くがGHQに取り入って、GHQ側についてしまった。

 GHQ側も自分たちに都合のいい連中を、傭員として雇い入れてしまった。

 

 その追放されるべき連中たちが、GHQに雇われてした仕事が作戦の調整や

 資料集め、戦略地図、、、、

 GHQの郵船ビルの中には、歴史課、地理課というのがあって、そこで

 戦史の資料、作戦の調整をしていました。

 

 日本は南進、北進で最後には、南進をとったのですが、仮想敵国は

 北進でロシアでした。

 ウィロビーはこの日本の旧参謀だった連中を使うのに、非常に熱心でした。

 なぜならアメリカの敵もロシアだったからです。

 

 この連中を使えば朝鮮戦争に関する戦略地図も、隣接する満州にかけての地図も

 詳細を極めていたので、これらが朝鮮戦争に役立ったことはいうまでもない。

 戦略地図は朝鮮だけでなく、ソ連の沿海州から樺太対岸までも含まれていたのです。

 この戦略地図は、GHQにとってこよなき資料でした。

 これらの資料は戦後、ほとんどウィロビーの手に渡りました。

 

 これらの戦略地図や朝鮮の地形、海域の水深、他の資料など

 日本軍人たちほど潤沢な資料をもっていた者はいない。

 だからGHQの郵船ビルの中には、旧日本軍人の上級将校たちが多数参与していた。

 つまり追放を免れたあの連中たちです。

 

 ★米国は日本とその隣国との間に和解できない土台を作りあげた。

  

  アメリカという国は、占領した時からこうした日本を共産主義にしないよう

  さまざまな謀略を重ねてきたのですが、謀略はこれだけではありません。

  当時の首相、吉田茂から個人的な書簡をとって、がっちりと手堅く日本を隣国と

  友好関係を持てないよう完璧なくさびを打ち込んでいたのです。

 

  地理的に言っても日本は朝鮮や中国、韓国、ソ連と近い

  これらの国々は日本とは隣国です、お隣の国です。

  仲良くしなければならないのは、言うまでもない。

 

  それなのに朝鮮戦争が始まった3年後、GHQは日本政府に対する

  国内措置の強圧にでたのです。

  【これまでのところ、すでにダレスは日本の吉田首相から、中共とは

   政治的、または経済的紐帯を結ばないと誓った個人的書簡を巻き上げるのに

   成功した。

   このような条約は、日本とその最も近くで、最も大きい隣邦との間に、和解できない

   敵対関係のがっちりした土台を据えるものであった】 (ストーン)

 

  アメリカは日本国民に常にアカに対する恐怖心を注射しつづけねばならなかった。

  日本に常に緊張感を与えねばならなかった。

  そのためには、日本と隣国とが友好関係にあってはならなかった。

  

  友好関係にあれば、アメリカが日本に駐留する必要はなくなる。

  アメリカが日本に駐留する意味は、日本を敵対する隣国から守ってもらっているという

  日本政府のいいわけがあるから。

  常にアメリカが防衛してくれているという、心理を日本国民に与え続けなければならない。

 

 つまり常に隣国とは友好関係になれない、書簡を吉田茂からとった。

 アメリカの忠実なポチ、吉田茂はこんな条約まで結ばされていたんだ。

 本当に何からなにまで念が入ったこと、、、、、

 

 

 ★朝鮮戦争で日本人は何をした

 

 戦争勃発以来、日本はアメリカの軍事行動のため用いられた。

 B29は本土や沖縄のアメリカ空軍基地から、朝鮮戦線へと出撃していった。

 米軍は装備や補給を日本で大量におこなった。

 

 戦争に参加した日本人は、全員国籍を削られて韓国名になった。

 日本人と韓国人では、顔の見分けがつかないので極めて便利でした。

 韓国名になって、戦争の補助要員として輸送、設営、補給、修理、諜報傭員として

 アメリカに使われました。

 

 あの有名な9月15日の仁川上陸にあたって、日本は米軍に直接協力しています。

 一千機による飛行機の擁護の下、艦船300隻をもって兵力5万の国連軍が輸送されたが

 この中に相当の日本人がいました。

 

 彼らは水先案内人となり、掃海作業員となりあるいは、操作要員となって

 アメリカに協力した。

 そしてこの作戦で北朝鮮の仁川守備隊はあえなく潰れたのです。

 

  

 

 日本の黒い霧著松本清張