はぁ。。。。
 
 
今日は超絶長いのと
深夜で日本語かかなり変なのと
初めて空気にさらす過去と心のうちを書いてしまったので
閲覧注意。。
 
 
3週連続 桜が楽しめるなんて今年は本当に恵まれて幸せ。
 
 
 
 
 
 
 
『産む 産まない 
産みたい 産みたくない

そして予想外のことが起こった時に
残る心のトラウマや悩み

そこを医療ではすぐ
病気扱いしてしまうのだけど

人は必ずそこから学んで成長している。

大切なのはそこだよね』

的な話を先生はしてくださって。



はーーーーー(ため息)

なんじゃろ

ますます語り合いたくなるではないか。



先日の千景さんとのトークショーでも
そんなテーマが流れていましたが



凹むこと 悩むこと 壁にぶつかること

失敗 挫折 などの ネガティブなこと

これを×と評価するのではなく

そこを「あっていいこと」 として

自分自身が受け止めるからこそ

前に進んだり選択肢が広がり

結果的に自分の自由度が増す

しあわせにつながる。


何度も書くけど、ものすごく大事なことだと感じる。




私が、いまを、

「なんか知らんけど幸せ」

と思えているのは

何があったから、今どうなったから

というより


心の中にある、影の部分の偏りを

アウトプットさせてもらって、

ちゃんと、泣かせてもらって

ちゃんと、嫌わせてもらって

ちゃんと、悔しがらせてもらって

そういう場を手繰り寄せてきたから。

そういうご縁を見つけてきたからだと

ホントに思います。

 
 

 
こんにちは、志緒村亜希子です。
 
 
 
うっかり、自分がこれから大切にして行きたいことに気がついてしまったとです。
 
気づいてしまったら、怖くて仕方がないとです。
 
 
だけど、涙が止まらないから、やっぱりそこを通りたい私の魂がここにあるとです。
 
 
そんな自分が、無力で惨めで、でも怖いもの知らずの勇者にも思えるとです。
 
 
ヒロシです。。
 
ヒロシです。。。
 
 
 
そんなことを考えていたら
夜中にうっかりこのリブログした過去記事に出会ってしまった。
 
 
ここ↑に、わたしが今後大切にしたいことを自分で書いてるじゃないか。
 
しかも子ラッコ妊娠中に。
 
 
 
 
わたしは
女性ひとりひとりの妊娠出産まわりについての価値観(これもセクシュアリティ)や思いをその人自身がまず受け止めることでその先の人生が違うと思っていて
 
他人ではなく、自分だけは一番そこを大切にしてあげられるという女性を増やしたいと思ってしまいました。
 
 
 
 
 
 
わたしは、若い頃、ひとり子どもをお空に還しています。
 
相手とは仲良く、このまま続いて行くと思っていたのだけれど当時の私はやりたいことを見つけてしまったのです。
当時はネットもないのに、大使館や関係機関に出向いて難しい申請書類を自力で作ったりと、驚きの行動力を発揮するほど気持ちはそちらへただ一直線に進んでいた最中で起きたことでした。
 
 
大変なことになってしまい血の気が引いて
経験したことのない怖さに震え
本当にどうしていいか分からず泣き続けました。
 
23歳になるかならないかの時のこと。
 
どうしたらいいかパニックになり
ただ事実をかき消し、何事もなかったかのように前へ進むことしか考えられませんでした。
 
 
とても怖くて、とても悲しかったはず。
 
はず、というのは、自分の気持ちを感じている余裕がなかったので覚えていないのです。※
 
とにかく、ゼロに戻るしかない。
 
その一心で、そのことについて当時は一粒の罪悪感もありませんでした。
 
 
きれいに記憶から消し去ることに成功したと思っていました。
 
 
ところが
のちに結婚することになるカピバラさんと出会ったことで
古傷がうずき始めるのです。
 
 
それでも何とか記憶に麻酔をかけることに成功し
めでたく結婚します。
 
 
本当の試練がやって来たのはここからです。
 
 
 
結婚したらわたしも何となく
次のステップを想像するようになります。
 
 
でも子供が欲しいと思える私がいない。
いたのは、そこに対してひらけない自分でした。
 
 
「※」のとき自己防衛のために感情を止めたのでしょうか。
ここに来て一気に吹き出してきます。
 
あの頃、あんなことがあったのに
罪悪感のかけらも持つことのなかった自分が
最強に冷酷な女に思えて自分が怖くて
 
こんな私が母になってしまったら
子供はどれだけ悲しむか
夫をどれだけ落胆させるか
私に愛されないと悲しむ子供やそれを見る夫を見たとき、私はどれだけショックを受けるだろう。
どれだけまた私は自分を責めないといけないのだろう。
絶望感しかない。
 
だから、子供は私の元へ来てはいけない。
 
無意識にそう思っていました。
 
 
このテーマからずっと逃げてました。
 
今思えば「逃げてる」こと自体がここに答えがあると分かっていたようなものだと思います。
 
 
わたしが、妊娠出産について
ずっと避け続けてきた理由を
簡単に
「子供が苦手だったから」
「母になるのが怖かったから」
と説明して来ましたが
 
詳しく書くと、本当の本当の理由は
ここにあったのです。
 
 
どうして
お母さんになりたいと願う優しい女性たちのところではなく
こんな酷い女のところへ
あの子はやって来てしまったのだろう。
 
罪悪感も感じないほど冷酷にバイバイするような私のところに。
 
 
〜〜〜〜〜〜〜〜
 
数年後、子ラッコを妊娠したときも
嬉しいような、でもその思いがまた湧いてきました。
「なぜ私のところなんだろう」。
 
だから妊娠が分かってしばらくは
カピバラさんにももぞもぞして言えませんでした。
自分が受け止めるのに、時間が欲しかったのです。
 
産婦人科に行った時、子ラッコはもう人の形に育っていました。
旦那さんにはその数日後に伝えました。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜
 
話は戻り。
 
30代に突入して
心屋に出会ったお陰で、
マスターコース 卒業した後のことでした(2011年夏)。
やっと、やっと、この経験が
私の人生に影を落としていることに気づきます。
罪悪感を感じなかった自分への罪悪感(ややこしや)や、
心の苦しみを信頼できる人に少しずつ話し始めるようになるのです。
 
 
「思いは育つ」
 
あのとき少しずつ自分の経験や
自分を責める気持ちや後悔など
安心安全の場で
たくさん たくさん泣いて
言葉にして 聞いてもらい
 
とにかく
どんな気持ちも全て、全て
「言葉」にし始めて
自分の外にやっと解放してあげることができた。
 
話すだけで
聞いてくれる人がいるだけで
とても気持ちが軽くなった。
 
言葉にすることで
自分を責めたり過去を後悔するところから
やっと前に進めるようになった頃かな、
 
 
2013年、
千景さんに出会ってしまうのです。
 
ここからはポッドキャストで詳しくお話ししていますが
 
そこからもまた
命が素晴らしいというのはキレイゴト、
わたしは子どもの話題は関係ない
と、
妊娠出産について荒れ狂う心が反応し
たくさん表現する機会がありました。
 
 
そうこうしているうちに
ネガティブで固められた鉄壁に隙間ができたのか
うっかり
「自分の赤ちゃんに会いたい、かも?」
と思ってしまいます。
 
この気持ちに気付いてしまったときは
本気で震えた。
 
怖かった。
 
そんなこと私が思う訳がないし
 
わたしが思う資格もない。
 
わたしのところに子供は来てはいけない。
 
でもきっと同じくらい
 
「会いたいかも 」と思ってしまったのだ。
 
そんなこと思う自分が怖かった。
 
 
 
「この言葉を言ったら、本当に赤ちゃん来てしまいそうな気がする」
 
とだけ千景さんに伝えてしまうと
 
まるで「待ってました!!!」と言わんばかりに
そのあとすぐに
子ラッコさんがお腹に到着して。。。
 
 
そこから今に至る。(突然ざくっと端折った)
 
 
 
 
 
 
 
 
「妊娠出産」を通して
 
自分がどんな価値観や思いを持っているかを知る。
 
言葉にする。表現する。
 
安心安全を感じる場所で口にしてみる。
 
 
 
これが、その後の女性の生き方を緩める。
 
なぜなら、一番自分の本質に触れる領域だから。
 
セクシュアリティ 女性としての存在。
 
これまでお会いして来たクライアントさん、受講生さんのお話を通しても、ここがどれだけ大切であるか
確信に近いものを感じた。
 
 
 
 
ただ、
 
 
どうしてこんなに壮大なテーマに引かれてしまうんだ。
 
気づかなければ平和に暮らせているのに。
 
 
わたしが扱うには責任が重すぎる。
 
 
専門家に任せればいいのに。
 
 
途方に暮れながらも
 
自分の思いを抱きしめるしかないラッコでした。
 
 
かいてもーた
 
どないしよ。。。
 
 
いま13日土曜日が明けた日曜日am3:52
 
 
いまこの文章を読んでいるということは
最後まで読んでくださったのですね、
 
長いのに、ありがとうございました。
 
 
そんなあなたが大好きです。
 
 
 
 
 
 
そしてこの記事を一旦寝かせて、勇気を出してUPしちゃいます。
 
ぽち。
 
 
 
 
こっちも(こっちの方が)グダグダ脳内垂れ流し記事。物好きな方はどうぞ。