わたしは要らない人間だと言われたら、あなたならどう答えますか?
要らない人間なんていない。わたしはそう思うのですが、そう感じている本人には何の慰めにもならないかもしれません。
体調が悪くメンタルも病んでしまい医師も信頼出来ない状況で薬など解決策にはならないと思います。
身近な家族が支えになってくれない場合にはどう生き延びればいいのでしょうか?
以前日記をつけていた頃『死にたい』と書いていたこともあります。本当に死にたいのではなく死ぬほど辛いという気持ちが死にたいと書かせていたのだと思います。
苦しい時は以前書いた日記を読み返していました。この時も死にたいと書いているけど何とか頑張って生き延びて来たのだと思えるからです。
幼い子どもがいても死にたいと思ってしまうのは何故なんでしょう?
子どももすぐに大きくなってわたしを必要としなくなる。
わたしは誰からも必要とされていない。
親がなくても子は育つという言葉がありますがお母さんの存在は子どもにとって重要だと思います。
例え体調が悪くて十分なことを子どもにしてあげられなくても生きていてあげるだけで子どもにとっては幸せなことです。
毒親ブームですがたとえ毒親でもお母さんが生きていることはありがたいことです。
もちろん殴る蹴るの過度の暴力があったり食事さえ満足に食べさせてもらえない場合は例外ですが。
以前デイブ・ペルザーの『‘‘It’’と呼ばれたら子』を読んだことがあります。単行本でしたが今は文庫本になっているようです。
彼は母親にガスコンロの火で焼かれたこともあります。兄弟はいますが彼だけを虐待して食事もさせていませんでした。
皿洗いなどの家事も彼の仕事で水を飲むことすら許されませんでした。
彼が酷い虐待を生き延びれたのは神様に対する信仰があったからです。
神様は僕のことを見ていてくださると思えることは生き延びる助けになったと思います。
でも日本人だと中々神様を信じることは難しいと思います。
わたしはキリスト教の幼稚園に行っていたので神様を信じていました。三位一体ではなく神様がいらして神様に祈るイエス・キリストというイメージでした。
以前にも書いていますが小学4年生の時に両側から車が来てその間に挟まれました。
40cmほどの隙間でかすり傷一つなく無事でした。きっと神様が守ってくださったのだと思いました。その日以来神様を信じて来ました。
でも神様の存在を信じていない人に神様はあなたを見ているとか神様は、あなたに生きて欲しいと思っていらっしゃると言っても心に響かないと思います。
美しいものを見たり音楽を聴いたりして癒されることもありますが、そういう気持ちにはなれない場合どうしたらいいのでしょう?
神田沙也加さんが亡くなってから死にたいと思う方が増えているように感じます。
子どもを亡くした親はどんなに辛いでしょうか。結婚を考えていた方はどんなに辛いでしょうか。
自分を外から、もう一人の自分によって見ることも必要だと思います。
自分自身を第三者目線で見るなら違う考え方も出来ると思います。
他人のアドバイスは煩わしいだけかもしれません。
生きる意味
何のために生きるのか
死ねばすべてのことから解放される
生きて子どもの成長を見守ってください。
辛くても苦しくても子どものためにも生きてください。