阪神・淡路大震災で亡くなられた方々に心よりご冥福をお祈りいたします



あれから17年


月日が経つのは早いけど あのときの教訓は忘れたらあかんよな



地震の揺れで目覚めたのは あのときが初めてやった


息子(当時小学2年生)は あの大きな揺れでも起きなかったのです∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


息子がスヤスヤと寝ている横にあった洋服ダンスが


倒れてこないよう踏ん張って押さえるのが必死やったです



かなり大きい揺れだということは 予想がついたけど


あのとき家に居てたのは私と息子だけ


父は夜勤で会社にいてたし 母は入院してました


ちょうどその当日が手術日だったんですけど、延期になったんですわ



揺れる中、とっさに思いつくのは玄関を開けなければ!


廊下をフラフラになりながら歩き、玄関を開けると揺れはおさまってたけど


シーーーーンとしてる住宅の気味の悪いこと


物音、人の声すらしない


また揺り返しがあると思ったので 息子を起こし今度、揺れたらテーブルの下に隠れるように言うと 


泣きながら「コワ~い!」


うちもコワ~い! でも泣くに泣けな~い!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

そして普段、音沙汰のない伯父から心配の電話があり 


伯父さんちのほうが震源地に近いのに うちらに心配して電話よこしてくれたなんて


そっちのほうがビックリやったりで(^_^;)



我が家は2階だったので 被害はなかったのですが


上の階にお住まいの方は相当な被害を受けました


食器棚が観音開きになってるお宅は、揺れでパーンと開き 一気に食器が落ちてきて


全部割れてしまったお宅とか


電気の傘が揺れで天井を突いたりとか 仏壇がずれたりとか聞いてました


でも、一瞬のうちに命を落とされた方々のことを思うと そんなのは被害に値しない被害だったですよね



そしてあのとき、そう!あのとき息子たちは普通に登校したんです


学校も先生がそんなに来てなかったようで 対応が遅れていたんですね


状況を把握してなかったようでした



でも、テレビを見ると とんでもない光景が目に飛び込んできて


こんなえらいことになってるんか・・と愕然としましたw川・o・川w



とりあえず電車がストップしたので会社へは行けなかったし


入院してる母の元へ行き、安否を確認しました


ま、病院にいてるほうが安心なんやけどね


手術中に大地震に遭ってたらどないなっててんやろぅ?と思いました



連日の震災の報道に胸を痛め 


あのときは、もっと防災意識を持たなければと思いました



でもあれから17年


そして昨年、東日本大震災があったばかりなのに すでに防災意識が薄れてる私


同じ大阪にいてても、主人は配達先、私も仕事場、そして母は家にとなると


バラバラで、もし何かあった時 合流できないのではないか


今のうちに家族で話合っておかないと


ずっと遠い他所の国で起こってる出来事ではないのにね



防災非常袋というのか 非常食や水、手動の懐中電灯や携帯ラジオなどの準備も


頭ではわかっているけれど なかなかできてないし


でも、咄嗟の時って結局、何もできないでいるのかもしれない



これから何が起きても不思議ではないこの世の中


もっと真剣に防災意識をもたなければと心に強く思うのでした