情報過多で失う考える力。『3年A組』を今更見た。 | 本当に笑いたい時だけ笑えばいい:ミニマムに生きる



デジタルデトックスをして、明かりを消して空を見たら、少しは自分で考えることの意味が分かるのだろうか?

X(旧:Twitter)を見たり、ニュースサイトを見たりしていると、自分のなかで何が起こるかを教えられる文章に出会った。

 

自分では情報を得るためにしている行為(私は、Xでは友人や知人の情報より世の中の動きを見るタイプ)が、不要な情報を頭のなかに詰め込んでいるに過ぎないのではないか、と。

職業柄、今、世の中で起きていることを認知しておくことは必要だけど、これはいらんだろう? ということも無作為に見ていると入ってくる。

そこで起きる感情が、良いものであればよいけれど、そうでない場合、心が疲弊する。脳も疲弊するかもしれない。睡眠時間が減れば、体も疲弊する。

 

平安時代や江戸時代に一生かけて得ていた情報を、私たちは1年で得ているという記述もある。正直、情報を拾いに行っている私は、1年より短い時間で得てしまっているのではないか、と思う。

 

外から入ってくる情報で、何かが動き、次へ進むこともある。

しかし、外から入ってきた情報によって、守るべきものを失うこともある。←詐欺はこれ!

 

インターネットにつなげた瞬間、人はどこに居ても、自分の習慣になった動きの分だけ情報を得てしまう。意図的に、デバイスを手放さない限り。

 

今更ながら『3年A組 今から皆さんは人質です』を見た。ほぼ同時に『サイレント・トーキョー』も見た。

まさにネットの恐怖だ。生きるうえで大切のものは何? 自分の意志って何? と思った。

 

ちょうど出会った文章で感じたように。

情報を得てしまうと、起こる感情で反応してしまうことがある。反応と感想は違う。

反応しても留めればよいけれど、留めない人もいる。

反応は出る方向によっては、他者を簡単に傷つける。

 

情報制御をしたい欲望にかられる。便利は思考を止める。

他者の意見に同調することも、反論することも、いらないんじゃない? と思う。

だって、いいねマーク と 残念マーク の2択じゃないから。

自分の意見を考えるだけ。それが新たなものであっていい。

意見は2択じゃなく無限だから。