ジョンレノンが亡くなってもう30年か・・・はやいものだ。

ということで、以前ブログで載せた文章を再掲させてもらう。




30年前の今日、ジョン・レノンは逝った。




中学入学と同時に英語という教科が始まると、ぼくらは洋楽を聴くようになった。

初めは、カーペンターズの「プリーズミスターポストマン」だった。




ビートルズというグループが同じ曲を歌っている、ということもその頃知った。

でも、聴いてみようとは思わなかった。

カーペンターズで充分に満足していたから・・・。




あの頃ぼくらの友達はラジオカセットレコーダーだった。

特にFMエアチェックは、お金のないぼくらに唯一許された贅沢だった。

そんな時「シーラブズユー」に出逢った。

打ちのめされた。

さらに「抱きしめたい」を聴き、完全にビートルズの虜になった。

日本の歌謡曲にはないビートがメロディが魅力がそこにはあった。




ぼくらはビートルズに夢中になった。

東野圭吾が「あの頃ぼくらはアホでした」でも描いているが、まさしくぼくらは第2次ビートルズ世代だった。

あそこに描かれていることは、多かれ少なかれどこに地域でも起こったことだったのである。

あの頃は、毎日がビートルズだった。




最初はポールが好きだった。

「イエスタデイ」「レットイットビー」などメロディアスな曲はポールの作品だったからである。

しかし、ビートルズのことを様々な媒体で知るうちに徐々にジョンのことが好きになった。




数年の沈黙を破って発表された「ダブルファンタジー」。

晩年ビートルズを否定し続けたジョンだが、これを聴いて「ジョンこそがビートルズだった」ということにようやく気付いた。




そして、運命の1980年12月8日。

ぼくは大学1年生で、こたつとラジカセしかない下宿でうとうとしていた。

そんな部屋にジョンレノン好きの友達が訪ねてきた。

「ジョンが殺された・・・今、オールナイトニッポンで吉田拓郎がジョンの追悼をやっている」

手には、ホワイトの瓶を持っていた。

その晩、二人でオールナイトニッポンを聴きながら飲んだ。

涙を流しながら歌いあかした。




30年前の悲しい思い出である。




今夜は、30年ぶりに一晩中ビートルズを聴きあかそう。


ジョン・レノン
ダブル・ファンタジー

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いつもは「私」で通すのだが、この文章だけは「ぼく」で書かせて頂いた。